それは、幼い頃の出来事―――
漸く年齢が二桁になった年、わたしは属する旅一座の公演のため、ガレマール帝国に来ていた。エオルゼアに住む者を蛮族、と称する帝国がわたし達を受け入れるのは稀なことらしく、一座のみんなも当初はざわついていた。そのまま捕虜にされるのでは、人体実験の道具にされるのでは……大人達は根も葉もない噂をし始める。けれども、一座の長が「心配はない。帝国内の融和派が安全を保証してくれる」と説得すると靄は晴れ始め、帝国内での公演が決まった。
元々、長に拾われた親のいないわたしにとって、どんな結果になろうとも構わなかった。公演が無事終われば安心だし、捕虜とかにされたらそれも運命だと思った。けれども、想像もしなかった出来事が起こるなんて、想定外だった。
ガレマール帝国は、エオルゼアと違って自然の緑がない。劣悪な環境に追いやられ、魔導という技術でここまでの大国にのし上がったこの国には、人工的に造られた木々や植物しかない。機械の冷たさの印象が濃く、正直好きにはなれなかった。
それでも、わたしは旅一座の一員として、自分の仕事をしなければならない。仲間が奏でる音楽に合わせて舞い、踊りで思いを伝えるのがわたしの仕事だ。ウルダハで本当の親に捨てられ、死にそうになっていたところを拾ってくれた長が与えてくれたこの場所で生きていく為には、働かなければならない。小さな頃から大好きな踊りで、お金を稼いで。良くしてくれる長や仲間に恩返しする意味も含めて。好きとか嫌いとか、そういう感情で動いてはいけないのだ。
帝国での初回公演は、一番大きな劇場での一般市民向けのものだった。一般市民と言っても、お金のある中流階級以上の人々だが。普段目にすることがない、エオルゼアの人間が珍しい彼らはこぞって劇場に集まり、チケットは完売した。図体のおおきな帝国人に見られながら踊るのは緊張したけれど、仲間が一緒だったからいつも通りに出来た。蛮族と卑下しているエオルゼアの人間が、自分達の納得以上のエンターテインメントを見せたことに彼らは驚き、賞賛の拍手をくれた。一般市民と言えど、帝国人に認められたことが仲間達は嬉しくて誇らしげだったけれど、わたしは特に興味がなかったので、とりあえずみんなと一緒に喜んでおいた。
生まれ育ちのせいか、他者より感情の起伏が少ない。踊り以外のことにもあまり積極的に興味が持てない。ただ、好きな事をしながら、優しくしてくれる仲間達に恩を返せればそれでいい。誇りとか、夢とか、そういうのとは縁遠いタイプだった。
初めの公演、二度目の公演と上手く行き、あっという間にわたし達の名前は帝国中に広まった。心を動かす演奏と舞を見せる蛮族の旅一座があるーーーエオルゼアを敵と見なす彼らの気持ちを、ただの旅一座が少しでも揺らしたことは、ウルダハを初めとするエオルゼア諸国にも伝わったらしく、帰って来た時にひどく注目されたのを覚えている。
帝国に来て三日目。九回目の公演は、魔導城で行われることになっていた。城に住まう皇帝―――ヴァリスを始めとする王族に見せる為の公演だ。この国で一番エオルゼアを憎み、自分達を蛮族と卑下している人の前で踊る、というのはさすがに緊張した。帝国の町とは違い、城の中は張り詰めた空気に包まれていて、ただでさえ心がぎゅっと掴まれるかのような感覚に陥る。あまり生きることに興味のないわたしでも、嫌な汗を掻いた。ピアノの糸のように、神経が張り詰める。けれども、仲間達とともにヴァリスの前に立った時、威厳ある皇帝の隣りにいる少年に目を引かれ、ある程度緊張が和らいだ。
彼は絹のような長い金髪と、宝石のような水色の瞳を持っていた。まるで絵画のような美しさの顔に、ひどくつまらなそうな表情を浮かべている。それはわたしと同じ、生きることに関心がないといった感じの顔で、共通項から関心を抱いた。あの少年は誰なんだろう。そんなことを考えていたら、張り詰めた心もほぐれていって、きちんと舞をこなすことが出来た。
険しい顔をしていたヴァリスは、納得したような表情で頷き、拍手をする。民が認めるのも頷ける、とわたしの舞や仲間の演奏を褒めてくれた。やはり、みんなほど喜びを感じなかったけれど、建前でお礼を言う。本音で動けないことに虚しさを覚えながら少年に目を向けると、退屈そうに溜め息を吐いていた。彼の心には、わたし達の思いは届かなかったのかな、と少し残念に思った。普段ならそう思わないのに、この時は何故か『残念』という気持ちが心に浮かんだ。
公演が終わった後、旅一座全員、会食に招待された。認めてもらえたという喜びから、みんなの警戒心は消えていた。ヴァリスや他のお偉いさんがいる会食は、子どものわたしにはつまらなくて、あの少年はいないのかと探した。部屋中を見たけれど、この大広間には彼はいない。どこか別の場所にいるのだろうか、と思い、広間を飛び出した。
わかっていたことだが、城内は広い。同じような景色がこちらにもあちらにもある。迷子にならないようにしなきゃ、と思い、広間の近くで彼を探すことにした。無機質な通路を物怖じせず歩く。機械的な内装に冷たさを感じながら、あたりを見回していると、いつしか少し遠くまで来てしまっていた。後ろを振り返る。子どもだったわたしは、戻るべき道順を見失っていた。
まずい、と危機感を覚え、とりあえず真っ直ぐ歩こうと足を踏み出す。その時、後方から声を掛けられた。
「あ? なんでこんなとこに蛮族の子供が?」
驚いて振り返れば、そこにいたのは若い兵士二人。背の高いガレマール人は、普段周りにいる大人より大きく、威圧感を強く覚えた。怖くなって体を強張らせると、兵士の一人がじっと顔を覗き込む。
「角が生えてて、顔に鱗が付いてる。蛮族ってのは面白いな」
「もしかしてあれか? 皇帝陛下の為に呼ばれた旅一座ってやつ。それの子供か?」
「あー、そうかもしれねぇな」
人を見世物のように見て、彼らは笑う。アウラ族であるわたしは、この見た目の為、旅一座以外では差別を受けることがあった。今のように見た目を面白がられたり、角を引っ張るとかの暴力を受けたり。同じエオルゼアの人間でもそういうことをされるのだから、一種族しかいないガレマール帝国では尚更だろう。今まで何もなかったのが奇跡なのだ。自分より巨大なものへの恐怖から抵抗出来ないわたしは、彼らが自分に興味を失うのを待った。からかわれるだけなら、なんとか耐えることが出来る。
けれども、現実はそんな甘いことなどなくて、兵士はわたしの腕を掴んで逃げられないようにした。
「一人でフラフラしてるってことは、周りに保護者はいないってことだよな」
彼は下品な笑みを口元に浮かべる。そこから相棒の意図を察したもう一人は、楽しそうに笑った。
「相手は蛮族の子供だぞ? お前も物好きだな」
「女ならそれでいいんだよ。最近、ご無沙汰だったしな」
二人はわたしを壁に追いやり、品定めするように見つめる。彼らが自分に何をしようとしているのか、子どものわたしでも理解することが出来た。一度、どこかの町で見たことがある。大人に無理矢理連れ込まれて、性行為を強要されるのを。わたしは今同じ状況にあるのか。嫌なはずなのに、頭は何故か冷静だった。逃げなければと思うが、取り囲まれ、腕を掴まれているため逃走など出来ない。力の差から抵抗も敵わないわたしは、すぐに諦めた気持ちになった。仲間のもとを離れ、行動していたのが悪いのだ。自分に責任を認め、成り行きに任せようとした瞬間、凛とした声が響いた。
「お前達、そこで何をしている」
声を聞いて、兵士二人は驚き、そちらに視線を向ける。わたしからは見えなかったが、視界に映った人物を見て、彼らは慌てて居住まいを正した。
「ぜ、ゼノス様!」
「な、なな、何でもありません」
どうやら、彼らより偉い人物が通りかかったらしい。助かった、と安堵する。兵士達はものすごく慌てた様子で相手に頭を下げ、警備があるからと逃げていった。彼らを見送り、間接的に自分を助けた人物に目を向ける。そこにいたのは、探していたあの少年だった。
「あっ……」
思わず、声が溢れる。あちらもわたしが見覚えのある人物だと気付いたらしく、訝しげな顔をする。
「お前は……」
「旅一座の踊り子。あなたは、誰なの?」
わたしが質問すると、彼は一瞬目を見開き、ははは、と笑いを零した。
「誰、か。面白いことを聞くな。俺が何者か、仲間に教わらなかったのか?」
どこか馬鹿にされている気もしたが、知らないものは知らないのだから仕方ない。彼の言葉に頷いて、自分の無知を認める。少年はわたしに近付き、悔しいほどに綺麗な顔で見下した。
「ゼノス・イェー・ガルヴァス。この国の皇太子だ」
「皇太子……」
ああ、だからさっき、ヴァリスの隣にいたのか。疑問が解決されてすっきりする。でも、どうしてあんなつまらなそうな、生への執着がない顔をしていたんだろう。解決されないもやもやを感じ、彼を見る。ゼノスはじっと見つめるわたしに向け、不満そうな顔をした。
「……なにか用か? 礼はいらない、ただ格下がでかい顔をして好き勝手しようとしているのが不快だっただけだ」
彼は吐き出すように言う。つまらなそうにしていても、感情の起伏はあるのだと分かった。どこか自分に似ている彼への興味が深くなる。こんな時、何て言えば良いのだろう。一座の仲間以外、人と関わりを持たないようにしていたわたしには、言葉が浮かんでこなかった。
黙って何も言えないわたしに対し、彼は溜め息を零す。手首を掴んで引き寄せ、鋭い目で睨んできた。困惑の上に恐怖が重なり、動けなくなる。
「俺が怖いから黙っているのか? それとも、俺になら何をされてもいいと思っているのか」
「っ、ちが、う……」
すぐさま否定する。けれども彼の怒りは収まらず、手首を掴む力が強くなった。痛みが走る。わたしは顔を歪めて、苦痛を訴えた。
「いた、い……」
「何か意見があるのなら言え。お前には、言葉を発する口も、痛みを感じる心もあるだろう」
至極真っ当なことを言われてしまった。確かにそうだ。伝える道具は常に持っている。でも今のわたしには、思っていることを上手く伝えるだけの知識がないのだ。悔しさを感じ、悲しい気持ちになった。
「そう、だけど……上手く、言葉に出来ない。わたしは……気になるの。あなたのさっきの、生きることに興味がない表情が……」
言える言葉で言ってみたが、まるで告白のようだと感じた。ゼノスは眉と眉の間に皺を刻み、疑うようにわたしを見る。やはり間違って伝わってしまったのではとハラハラし、わたしは恥ずかしさから全力で彼の拘束から逃れ、その場を離れようとした。
走ろうとするわたしの腕をゼノスは掴む。触れられた場所が熱くなって、心臓がばくばくと激しく動いた。どうしてこんなに心が忙しないのだろう。あの時のわたしには、訳が分からなかった。
「待て」
「いやっ……はな、して……」
羞恥心が広がり、彼と距離を取りたくなる。けれどもゼノスは離すことなく、言葉を続けた。
「お前は……生きることに、執着があるのか……?」
「え……?」
「俺と……同じなのではないか……?」
どこか不安そうな声色で、彼は尋ねてきた。わたしは心の奥を見透かして突いてきたような台詞に、どきりとした。
「……わたしは……」
どう答えるべきか、戸惑った。素直に話した方が良いのか、偽る方が良いのか。迷い、苦しくなって、ありのままの答えをゼノスに告げた。
「生きることに、それほど興味はないわ」
子どもらしからぬ表情で、子どもらしからぬことを口にする。きちんと彼を見て答えたので、ゼノスの瞳に小さな光が宿ったのを目にした。あれはわたしへの期待の光だったのか、子どもらしい喜びの光だったのか、わからないけれど。
わたしが質問に答えると、彼は拘束を緩めた。どこか満足したような笑みを浮かべている。チャンスだと察知し、わたしは「さよなら」とだけ言い残して、その場を去った。
その翌日、わたし達は帝都での最終公演を終えて、エオルゼアに戻った。ゼノスのことは、時間が経つにつれ忘れ、わたしは大人になり、紆余曲折を経て冒険者となった。
だからあの時―――ラールガーズリーチで戦った時、何とも言えない懐かしさを感じてしまった。初めて出会ったはずなのに、心のどこかで初めてではないと言われているような感覚に陥った。ただ、そういう感覚になるだけで、あの時の彼だとは気付かなかった。
完全に思い出したのはついさっき。ヤンサの地で、再び武器を交えた瞬間だ。あの時の、わたしを助けてくれた、自分と同じではないかと言った、少し上から目線の少年ーーー彼が自分達の討つべき敵だと気付いた。気付かなければ良かった、という思いが溢れる。胸がぎゅっと締め付けられて、切なさが心を覆った。無意識のうちに涙が零れる。頬を伝う雫に触れて、自分の思いに気付いた。
あの時の熱さ、心臓のばくばく、今感じている胸の苦しみ、切なさ、涙ーーーわたしは、彼のことを好きになっていたんだ。子どもの時から、ずっと……。
心に宿っていた思いを見つけ、わたしは頬を濡らす。ああ、この思いをどうすればいいのだろう。美しく光る月に照らされながら、わたしは泣き続けた。