Vi et animo

その愛はまるで蛇のような

 気が付くと、わたしは無機質な場所にいた。よく分からない機械や、暗い闇色をした調度品ばかりの部屋。そこに置かれた純白のベッドの上に寝ている。あまりにも部屋に不釣り合いな、白の上に。
 おかしい。昨夜はイシュガルドの宿屋に泊まっていたはすだ。あそこも薄暗いけれど、こんな感情の篭ってない空間じゃない。なんで、どうして。疑問が浮かび、戸惑うわたしの前に、『彼』は現れた。
 がちゃり、と扉を開けて、絵画のような顔面に冷酷な笑みを浮かべて。最大の危険を感じたわたしは逃げ出そうと体を動かす。でも、彼は何もしていないのに、『体は動かなかった』。まるで、何かに押さえ込まれているように。
「……殺すなよ、そいつは俺の獲物だ」
 彼は感情の篭ってない声で何かに言う。わたしと彼以外に、誰かいるとでも言うのだろうか。
「ゼノス……なんで」
「異世界に渡り、牙を研いだお前と命のやり取りをする前に、お前に触れたかったからだ」
 こつこつ、と音を立ててわたしに近付き、ほぼ無抵抗の体に覆い被さる。ゼノスに見下ろされた状態になると、わたしを押さえ込んでいた『何か』は消えた。
 ヒトの全てを見透かすような深い瞳がわたしを映す。逃げ出すことは、死ぬ気になれば出来るはずだ。でもしないのは、この男に愛を許してしまっているから。生まれて初めて、慈悲から恋心を頂いたのが、ゼノスだからだ。なんと愚かなのだろうと思う。たくさんの人を傷付けて、ただ自分の満足行く戦いをしたいだけの闘争欲に溺れた者に己の心と体を許してしまうなんて。そんなわたしが、世界を背負う英雄だなんて……愚かだ、わたしも世界も。
「本当に、あなたは自分勝手ね」
「自らを優先しなければ、『戦場』では死ぬ。武器を持たなくても、それは同じだ。覇権争いという戦場の中では、他人に弱みを見せた者から消えていく」
 だから、このやり方は正しいのだと、彼は言った。初代皇帝の曾孫、現皇帝の息子という立場に生まれ、その冠を受け継ぐ為にゼノスは生まれながらにして戦場で生きてきたのだ。誰も信じられず、自分で自分を守りながら、強い力を手に入れ、自分よりも強い者と死合うことを望みながら。
 途端に、心中が慈愛に溢れる。この人に何かを与えられるのは、自分しかいないのだと自惚れてしまう。
 そっと顔に手を伸ばして、ある事に気付いた。前までゼノスは、髪は長いけれど両目ともはっきり見えるような髪型をしていたはずだ。でも今は、左目側を髪で隠すようにしている。わたしを見下ろしているから、多少崩れているけれど、左目ははっきり見えない。まるで何かを見せないかのように、美しい金糸のカーテンは、知る事を防いでいた。
「ゼノス……こっちの目、何かあるの……?」
 ただ自然に、疑問に思って尋ねた。もしかして怪我をしたのだろうかと、敵ながら心配になる。
 すると彼は口元にニィ、と笑みを浮かべ、続けて楽しそうに笑った。
「くくっ……知りたいか?」
 真実に触れる事が禁忌であるかのように語る。胸がきゅっと締め付けられ、怖くなった。けれど、人間というのは欲深くて、漏れずにわたしもそういう人間で、怖いのに頷いていた。
「英雄と呼ばれるお前ならば、然程恐怖を感じずに済むだろう。それに、『あいつ』もお前に興味を持っているようだからな」
 不敵な笑みを称えたまま、ゼノスは左目を隠す髪を掻き上げる。
「っ……!」
 そこには―――白目の部分が黒く、黒目の部分が白い、所謂『黒白目』になっている彼の瞳があった。ゼノスの瞳はわたしをしっかりと捉え、視線を逸らさせまいととする。まるで、その中に『何か』がいるかのようだ。見えない力が、わたしの体と心を掴んでいる。
「どういう、こと……?」
 口から出てきた声は震えていた。見えない何かに、恐怖を覚えていた。
「お前は『リーパー』という存在を知っているか?」
 唐突に、彼に問われる。聞いたことの無い名前に、首を横に振った。
「リーパーは、ヴォイドに住まう『魔』を使役する存在だ。魔はアヴァターと呼ばれ、主の目に宿る」
 ゼノスの話を聞いて、わたしの中で点と点が結ばれる。わたしをベッドから逃すまいとしていた存在……先程から、わたしを掴んでいる存在……それは同一で、ゼノスに宿っている、アヴァター。
「俺はお前と新たな死合をする為に、この力を得たのだ。命を、狩り取る為に」
 深淵を伴った笑みが深くなる。怖くて、熱を失っていくわたしの頬と首筋を撫でて、唇が耳元に寄せられた。
「命を燃やし、最高の神話を成したあとは……お前のその魂を使役してやろうぞ、ヒナナ」
 うっとりとするような艷めく柔らかな声で、彼は恐ろしいことを言う。死してもわたしは離れることは出来ない。すべてを許してしまったあの時から、愚かな英雄の末路は決まっていたのだ。