心地良いそよ風に目を覚ます。優しく髪を撫ぜた風は、町のどこかへ消えていく。顔を上げて辺りを見回せば、そこはクガネにある茶屋だった。屋外の席に座っていた私は、のんびりしながらうたた寝してしまったらしい。近くにいたヤ・シュトラが、少し呆れた表情をした。
「あら、今日は王子様が来るって言うのに、昼寝をしていたの?」
「え……? 王子ってどういう」
何の事かと彼女に尋ねようとした時、誰かが傍にやって来た気配を感じた。知っているけれど知らない。妙な気配だった。
「噂をすればなんとやらね」
ヤ・シュトラは小さく微笑む。不思議に思って、そちらに目を向ければ。
「ゼノ、ス……?」
白い軍服を着たゼノスが、そこにいた。どうして彼がクガネに? どうして白昼堂々と? なんでヤ・シュトラは武器を構えないの? 様々な疑問が自分の中で駆け巡る。ただ見つめて何も出来ないでいると、彼はフッと優しく笑った。今まで見たことのない、穏やかな笑顔。
「どうした? 呆けた顔をして……それでも蛮族の神を倒した英雄か?」
「へっ……? あ、ごめんなさい」
謝る必要はたぶんなかったのだろうけど、謝らなきゃいけない気がして謝罪する。それを見て、彼の隣にいたアサヒが不服そうな顔をした。
「それでもゼノス様の婚約者ですか……あなたがそんなではガレマール帝国もエオルゼアも支えられませんよ」
「こ、婚約者……!?」
突拍子もない単語にわたしは耳と尻尾を立てて驚く。婚約者ってどういうこと? いつの間に帝国と仲良くなったの? そもそも争いはなかったの? 再び疑問でいっぱいになるわたしにゼノスは近付き、大きな手で頭を撫でた。
「何か危険なものでも食したか? 今日のお前はおかしいぞ」
少し屈んで表情を伺いながら、彼は問う。人の命をいとも簡単に奪って来た男でも、恋人を案じたり、不安そうな表情をすることが出来るんだな、としみじみ感じた。
「別に変わったものは食べてないわ。き、気のせいよ」
ここは状況に話を合わせておいた方がいい、と判断したわたしはそう答えて笑みを見せる。それを彼は信じてくれたようで、なら良いのだが、と安心した様子で言った。
「ヒナナ、今日はデートなんでしょう? 楽しんでらっしゃい。時には、英雄にも休息が必要よ」
「え……あ、はい」
まさかゼノスとデートをすることになっているとは予想もつかず、少し声が上擦ってしまう。わたしを送り出すヤ・シュトラの声色は温かくて、母親のようだった。良い仲間を持ったなぁと感謝しているわたしに、アサヒが険しい表情で釘を刺す。
「いいですか、エオルゼアの英雄。ゼノス様もお忙しい中、お前の為に時間を作って下さったのです。無駄にせず過ごすのですよ」
まるで小説に出てくるお姑さんや継母みたいだなぁと心の中だけで苦笑した。口に出したら、さらに余計なことを言われそうな気がしたから。
「えぇ、分かってるわ。アサヒは細かいんだから……」
「何か言いましたか?」
眉間の皺を深め、彼はわたしを睨んだ。普段と違う世界でも、彼とは何故か仲良くなれないようだ。敵意剥き出しのアサヒの肩を、ゼノスが優しく叩く。
「ゼノス様」
「あまりヒナナをいじめてやるな」
「い、いじめてなど……そのように映ってしまったのであれば申し訳ございません」
アサヒは萎んだ表情でゼノスに謝り、わたしに視線を向けた。一瞬だけ、『俺はお前が嫌いだからな』とでも言いそうな顔をしてから、何事もなかったかのようにその感情を隠す。
「さて、ヒナナ。そろそろ出発するぞ」
ゼノスはわたしを見つめ、爽やかな笑みを浮かべる。普段の獣のような彼とは全く違い、少し戸惑った。
「あ、うん……」
今まで見た事のないゼノスの表情に胸が高鳴る。ああ、そう言えば恋ってこういうことだった気がする、と思い出した。彼は白い薄手の手袋をした右手を差し出してくる。おずおずと握ると、ぐいっと抱き寄せられた。
好きだと思っている人に急接近する。ふわり、と落ち着いたムスクの香りが漂い、ゼノスが何かの香水を付けているのに気付いた。余計、ドキドキしてしまう。
そんなわたしを見てヤ・シュトラは、いつまでも初々しいのね、と楽しげに指摘する。
「だ、だって……」
普段以上にかっこいいのだ。こうなってしまうのは必然だ。わたしはヤ・シュトラ達に見送られ、クガネのメインストリートに向かった。
そこは多くの観光客や商人で賑わっていた。珍しい東方の食材や骨董品を売るお店、綺麗な着物や装飾品を見ている女の子、芝居の呼び込みをしている若い男性。まるで理想郷のように、笑顔で溢れた場所をわたしとゼノスは歩く。腰に手を回され、ぴったりとくっついた状態で、わたしは歩を進めた。彼にこんなに優しく接せられたことは初めてで、心が熱を持つ。当の本人は気にしていないのか、涼しい顔をしていた。
通りにいる人々は、わたし達を見つけるとにこやかな顔をする。
「あら、英雄殿にゼノス殿下。今日はお二人で過ごされる日なのですか」
呉服屋の店主が声を掛けてきた。落ち着いた緑の着物が似合う、優しげな女性だ。何故、わたしとゼノスが仲良く歩いていることに対して疑問を持たないのだろう、と思ったが、きっとここは夢とかそういう世界なんだろうと理解することにした。そうじゃないと、優しい彼との時間を楽しめない気がしたから。
「え、はい、まぁ……」
「ふふっ、世界を救った英雄殿も、本来は初心なお嬢さんなのね。良かったら見ていってね」
娘の恋路を見守る母親のように、彼女は話す。わたしは頬に熱を感じながら、ありがとうございます、と一礼する。店主は笑顔で手を振り、店内に戻っていった。
照れるわたしに対して、ゼノスは小さく笑う。馬鹿にされている気がして視線を向ければ、事実だろう?と挑発的な言葉をぶつけてきた。
「うう……言い返すことが出来ない……」
「恥じらうところもまた愛らしいぞ。俺の色に染め上げたくなる」
「へっ……!?」
夜を思い起こさせるような台詞に、わたしの胸はどきりと高鳴った。頬が余計熱くなる。それを見てゼノスは小馬鹿にした。
「もう……意地悪しないでよ」
「お前のそういうところが、俺の心を刺激するのだがな?」
「いい加減にしないと、本気で怒るわよ?」
これ以上、みんながいる場所でからかわれるのは嫌だ。ゼノスに愛されてるのは知ってるけれども、恥ずかしさで心が爆発しそうだった。
「ああ、これくらいにしておくとしよう。詫びに、何か欲しいものを一つ買ってやる。選ぶといい」
ゼノスは、普段絶対見せないような、申し訳無さが混じった表情をする。綺麗なキャンバスに浮かんだその表情は、優しくて儚くて、麗しかった。つい、見惚れてしまう。
「ヒナナ……?」
「あ、いえ、ごめんなさい……それじゃ、折角だからこのお店で選びましょう。わたし、髪飾りがいいな」
彼の美貌に吸い込まれていたことを隠すように、わたしは大きめの声で事を先導する。いつもと違い過ぎる彼に、色々な思いが揺らいでしまいそうだった。
二人で店内に入ると、先程の店主が嬉しそうに迎えてくれた。髪飾りを探していることを告げれば、英雄殿に似合いそうなのは……と言って、色とりどりの髪飾りを用意してくれる。椿の花を模したもの、本物の貝殻を使ったもの、薄手の布でいくつも小さなリボンを作ったもの、着物の端切れを使ったもの。どれも乙女心を擽るアクセサリーで、心ときめかせて一つひとつ手に取る。
「ねぇ、ゼノス。どれがいいかな?」
彼の意見も聞いてみたくて、話を振る。ゼノスはわたしと数種類の髪飾りを見比べて、椿の花を模した飾りがついたものを手にした。
「これが良いのではないか? 花の赤がよく映える」
「綺麗だもんね。これにしようかな」
彼が選んでくれた髪飾りを見つめて頷く。店主も、桃色の髪によく似合いますよ、と言ってくれた。
ゼノスは支払いを済ませると、わたしの髪に椿の髪飾りを付ける。好きな人に髪を触れられ、鼓動が早まるのを感じた。
「似合っているぞ」
「うん……ありがとう」
恥ずかしくて、嬉しくて、胸が熱くなった。つい、耳と尻尾がぴこぴこと動いてしまう。それを見たゼノスは目を細め、可愛らしいな、と呟いた。余計、耳が忙しくなる。
人前でいちゃつくような台詞を言われ、耐えられなくなったわたしは、彼の手を掴んで店を出る。
「つ、次の場所に行きましょう」
髪飾りの礼を告げ、恋人の手を引っ張って出ていくわたしを、店主は優しい母親のような表情で見つめていた。
店の外に出たわたしは、大使館のある通りまで無言で突き進む。ゼノスは黙ってついて来てくれたが、通りが変わったところで足を止めた。
「少しは慣れて欲しいものだ」
「だ、だって……恥ずかしいものは恥ずかしいんだもん」
頬を膨らませて彼を見る。ゼノスは困ったような顔をして、肩を上下させた。見たことのない表情に、戸惑いが生まれる。戦いとかそういうことがなければ、普段の彼もこういう顔をしてくれるのかな……。わたしは自分の心が迷子になっていくのを感じた。
「……どうした?」
考え事をしていたせいで、わたしは上の空だったらしい。案じるようにゼノスは声を掛けてきた。
「ううん、何でもない……とにかく、すぐ慣れるのは無理……」
「まぁ、初々しいお前を見るのも面白いのだがな」
「もう……」
こういう意地悪なところは、わたしがよく知るゼノスと変わらない。彼の愛し方はどこか歪んでいるけれど、時々見え隠れする優しさに、わたしは惹かれていた。
その時、強めの風が吹いた。草木が掠れる音がして、薄い桃色の花びらがひらひらと舞った。桜だ。前にハンコックさんに教えてもらったことがある。どこに桜の木があるかも聞いていたわたしは、そこにゼノスを誘った。
「あっちに綺麗な桜の木があるの。一緒に見に行きましょう」
「ああ」
彼は頷いて、わたしの手の握り方を変える。いわゆる『恋人繋ぎ』の状態になって、ドキッと胸が高鳴った。
「桜を見に行くのだろう? 案内しろ」
「う、うん」
冷め始めていた熱が再び熱くなる。沸騰しそうな心を抑えながら、わたしはゼノスを連れて、桜の木の下へ向かった。
桜の木は風に揺られ、ゆさゆさと花を踊らせていた。花弁がひらりひらりと舞い、地面に絨毯を作っていく。それを眺めるわたしを、ゼノスはそっと抱き寄せた。隣に立つ彼を見上げると、優しい表情をしている。いつも出会う彼にもこの表情をさせることが出来たら……深い闇を払えたら……。わたしは自分の無力さを感じて、悲しくなった。
「ヒナナ。何故そのような顔をする? 今日のお前は何か変だ」
「えっ……? あ、ごめんなさい」
彼を見過ぎていたらしい。感情が顔に出てしまったようで、ゼノスはわたしを心配そうに見つめた。
「寂しいのならば、その隙間を俺が埋めてやる」
「んっ……」
ゼノスの唇がわたしのそれを奪う。何度も角度を変えて口付けを与えられながら、わたしは彼の腕に包まれた。屋外でキスをされることに羞恥を覚えたが、人の通りが極端に少ない場所の為、誰かに見つかることはなかった。
キスを重ねる度に、胸の内に切なさと愛おしさが溢れていく。わたしは色っぽい声を漏らし、顔を離したゼノスの名前を呼んだ。
「物欲しげな顔だな。帝国の大使館も近い。そこで可愛がってやろうか?」
「そ、それは……!」
ゼノスの言いたいことを理解して、わたしは首を横に振る。彼は不敵に笑い、わたしの手首を口元に近付けた。途端に、ぴりっという痛みが走る。抵抗する間もなく、ゼノスはそこに赤い華を咲かせた。見せつけるように舐める。
「これで許してやる」
「なっ……」
「跡を見る度、俺を思い出すがいい」
小さく咲いた華は、所有の証ということ。支配的な愛にわたしは戸惑いと幸福を感じた。きっと彼は、そういう愛し方しか出来ないんだろう。優しく、守るようなぬるい愛など、わたしとゼノスの間には永遠に存在しない。強者である彼に、わたしは縛られ、愛されていくんだ。夢でも現実でも。
頬に火照りを感じながら、わたしは頷く。するとゼノスは再度口付けて、舌を絡めてきた。
「んっ……ふっ……」
手首の痛みよりも、口内に起こる快感が強くなる。艶めいた声が口端から溢れて、ゼノスは薄く笑みを浮かべた。
胸の高鳴りを抑えながら、濡れた瞳で彼を見る。蒼い瞳はわたしを捉えて、放さなかった。
「……さて、そろそろ夢も終いだ」
「え?」
「お前は本来あるべき場所で目を覚ます。俺が迎えに来るまで、その命、誰にも奪われるなよ」
「ゼノス……?」
状況が飲み込めないでいると、意識がゆっくり遠ざかっていく。なんで、どうして。どういう意味なの? 問うより前に視界はぼやけて、気が遠くなっていった。
がばっ、と勢い良く起き上がる。辺りを見回せば、クリスタリウムにあるペンダント居住館の自室だった。やはりあれは夢だったんだ、と残念な気持ちになる。あの平和で優しい世界が現実だったら、どれだけ良かっただろうか。
わたしは溜め息を吐き、窓を見る。もう時期太陽が顔を出す時間のようで、微かに空は明るかった。
「俺が迎えに来るまで、か……」
目覚める直前、ゼノスに言われた言葉を思い出す。彼と再び出会うのは、きっと戦場なのだろう。何度も奪われた唇に触れ、夢の中で感じた熱を思い出した。