『思い出のお菓子』
世界から魔法が消え去り、人々が己の力で復興を目指す中、祖国ザンブレク再生のため、生き残った神官たちや有識者との会議を終えたディオンは、少し疲れた様子で自室に戻った。
「おかえりなさい、ディオン……って、大丈夫ですか? 疲弊された様子ですが」
彼の生涯の恋人であり、腹心であるテランスは、愛しい人を出迎えて、その顔色に不安を感じる。恋人が心配していると察したディオンは、首を横に振った。
「大したことは無い。会議続きで少々疲れが溜まってきただけだ。まだ問題ない」
問題ないと言われても――とテランスは思う。だいたい、自分の恋人は『平気だ』とか『気にするな』と言って自分や部下達を宥めて、本当はそうじゃないことが多い。もう、その位は捨てた状態だが、人の上に立つ者としてのプライドが本音を見せることを許さないのだろう。難儀なお方だと感じ、少しでも心身が休まる時間を確保させようとティータイムを提案した。
「ちょうど午後の良い時間ですし、料理長が懐かしいものを作ってくれたので……先日、ジョシュア様より送っていただいた、隠れ家産の茶葉とともにいかがでしょうか」
ディオンが戻ってくる時間を予測して準備しておいたとある菓子と『シドの隠れ家』より送られた茶葉の入った缶が置いてあるテーブルを示してテランスは話す。優しくも意志の揺るがない笑みはディオンを頷かせ、次の予定までは時間があるから、と何かに言い訳するように口走った。
テーブルに置かれた菓子をしっかりと見て、ディオンは彼が『懐かしい』と言った理由に気付く。皿に盛られているのは、なんの変哲もないクッキーだが、これは彼らにとって、思い出の菓子であった。
「これは……本当に懐かしいな……そなたとともに、ハルポクラテス先生の講義を受けていた時を思い出す」
ディオンの言葉にテランスは同意する。
「ええ、短い間でしたが、私とディオンで一緒に学んでいた時、講義のあとにハルポクラテス先生がこっそり渡してくださったのはこのクッキーでした。あとから聞いた話ですが、料理長と先生は旧知の仲で、少しでもディオンの心が安らぐようにと毎回作ってくれていたそうです」
「そうか……余は、様々な人々に支えられているのだな」
瞼の奥で、当時の様子を思い出す。バハムートのドミナントとして、神皇の息子として、すべてを背負っていた自分が、少しだけ年相応の子どもらしく過ごせたのは、ハルポクラテスの授業だった。歴史という小難しいことも、彼は楽しんで学べるように講義を工夫し、中流貴族の子であるテランスにも共に学ぶ機会を与えてくれた。それはハルポクラテスの愛情であり、願いだったのだろう。きちんと別れを告げられずに離別し、あの戦いの日々、隠れ家で再会出来たのは、想いが起こした奇跡だと感じた。ハルポクラテスは離れていても、自分のことを心の中で案じ、生きていることを喜んでくれた。本来であれば、死んでもおかしくないアルテマとの戦いで生き残れたのは、ハルポクラテスの願いが、そしてテランスの愛情が起こした二つ目の奇跡だとディオンは思っている。
「ええ、昔からそれは変わりません。ディオンは一人じゃない。それを重荷に感じなくてもいい。私も先生も、あなたが大切だから、支えることを選んだのです」
「テランス……」
ディオンの心に、大丈夫だと語りかけるようにテランスは話す。表情を見れば穏やかで、慈愛に満ちていた。ふと、目頭が熱くなる。ディオンは涙を見せまいと顔を逸らしたが、テランスは彼を抱き締めた。
「泣いたっていい。辛いと弱音を吐いたっていい。あなたは私達と同じ人なのだから。弱い部分を見せ、それを私達で支えていけばいいんです、お互いに」
包むように抱き締めて、テランスはそっと背中を撫でる。ディオンの瞳から涙が溢れ、頬を伝った。
「ああ……そうだな……そなたを頼ろう、テランス」
潤んだ瞳でディオンは彼を見つめる。互いの想いが交わって、二人は静かに口付けを交わした。
『傍にいるから』
夢だと分かっていた。けれども彼の目の前で、父も恋人も炎に焼かれて朽ちていく。その炎は、己が――バハムートが放ったフレアの炎で、ディオンは自ら『愛情』を向けていた者を殺していた。
やめろ。やめろ。やめろ。父上を殺した罪は、民を傷付けた罪は受け入れたはずだ。なぜこんな夢を見せる。何が、何の意思で……!
彼は激しく拒否をする。しかしバハムートは視界に映るすべてを焼き尽くすようにフレアを放ち、すべてを焼け野原にしていった。
「うああああああ!!!!」
叫び、勢い良く飛び起きる。全身に汗を掻き、呼吸は乱れていた。
「ディオン!」
隣で寝ていたテランスは泣き出しそうな表情で彼を抱き締める。愛おしい人の温もりは、今いる平和な世界が現実なのだと教えてくれた。
次第に息は整い、心も落ち着いてくる。大丈夫だと告げると、テランスはホッと息をついた。
「何か、悪い夢でも見たのですか?」
「ああ……」
ディオンは一言だけ答え、恋人の腕から離れようとする。しかしテランスはそれを防ぎ、抱き締め続けた。
「テランス?」
「痩せ我慢しないでください。私の温もりが必要なら、満足するまで、この腕の中に」
この男には、嘘はつけないとディオンは思う。ある程度気持ちが落ち着きはしたが、正直、まだ不安ではあった。出来れば、彼の温もりを感じていたい。唇から愛を注いで欲しい。
ディオンは苦笑し、恋人を見た。
「そなたは本当に聡い男だな。テランス……」
「はい」
「もう少し、このままでいさせて欲しい。そして……」
優しく微笑むテランスの唇に、自らのそれを重ねる。
「愛して欲しい。恐怖を塗り潰すように」
少しだけ不安気な表情を見せて、ディオンは彼を見つめる。テランスは頷き、白いベッドに押し倒した。
「仰せのままに。愛しい人」