Vi et animo

無垢な瞳

 アム・アレーンでの調査に向かう前に、ヒナナ達と食事がしたい―――というリーンの希望で、世界を救った英雄とその仲間達の食事会が、クリスタリウムの酒場で開かれた。グリナードが腕によりをかけて作った料理やデザートが並ぶ机を、ヒナナ、水晶公、サンクレッド、リーン、ウリエンジェ、ヤ・シュトラは囲う。アリゼーとアルフィノは既にクリスタリウムを離れていたので集まることが出来なかったが、旅の日々を共にした面々と親睦を深められることに、リーンは笑顔を見せた。
「今日は私の我儘に付き合って頂いて、本当にありがとうございます。サンクレッド以外の皆さんとは、ゆっくりお話する機会がなかなかなかったので、今までの冒険のこととか、聞かせてくださいね」
「勿論よ。昔のサンクレッドのこととか、色々教えてあげるわ」
 リーンの言葉に、ヤ・シュトラは小さく笑って返す。すかさずサンクレッドが静止の意味でつっこみを入れた。
「おい、待て。変なことをこいつに教えるな」
「うふふ。でも彼女は興味津々みたいよ?」
「なっ……」
 ヤ・シュトラの言葉通り、リーンは目を輝かせて彼女を見ていた。サンクレッドは溜息を吐き、もうどうにでもなれ……と呟く。それを見てウリエンジェは苦笑いし、ヒナナも困惑の笑みを浮かべた。
 すると、彼女の隣に座っている水晶公が、申し訳なさそうに口を開く。
「……暁のメンバーでもない私がここにいて良いのだろうか? 場違い、ではないか?」
「何を言ってるんですか。そうしたら私も暁のメンバーではありません。それに……ヒナナさんと水晶公の馴れ初めとか、聞きたいですし……」
 リーンは少しずつ頬を染めながら、水晶公に話す。年頃の娘らしいとウリエンジェやヤ・シュトラは感じた。
「な、馴れ初め……!? いやそんな、大したことはないんだ。なぁ、ヒナナ」
 年頃の娘よりも恥ずかしがっている自称老人は、耳をぱたぱたさせながら恋人を見た。
「そ、そうね……恋愛小説のような劇的な展開はないわ。ただ……彼から告白されて、それを受け入れただけで……」
 世界を救った英雄も、頬を朱に染めて両手を左右に振る。二人の初心な反応にヤ・シュトラはクスリと笑い、二人ともまだお子様なのね、と感想を述べた。
「うっ……そうやって老人をからかわないでくれ」
「あ、ごめんなさい。でも、恋のお話って、ユールモアにあった古い小説でしか触れたことがなかったから、気になって……きっとお二人は憧れるような素敵な恋愛をされてるんだろうなって思って」
 リーンの純粋な言葉と瞳の輝きが、ヒナナと水晶公に突き刺さる。真っ直ぐに、『知らないことを知りたい』という知識欲を示してくる彼女に、二人の優しい心は動かされた。
「リーンのその目には敵わないな……水晶公、恥ずかしいけど、話しましょう」
「ああ、そうだな。経験を語るのも、年長者の務めだ」
「ヒナナさん、水晶公。ありがとうございます」
 ぱぁっとリーンの表情が明るくなる。愛らしさに溢れ、純朴な彼女らしいものだった。
「話すのはいいが、余計な知識は与えるなよ」
「難ありの恋愛歴を持つあなたに言われたくはないと思いますよ」
 忠告するサンクレッドに、ウリエンジェが釘を刺す。
「ウリエンジェ!」
「事実でしょう?」
「そうね、事実ね」
 珍しく、サンクレッドは羞恥を顔に見せてウリエンジェを睨んだ。しかし、彼と加勢してきたヤ・シュトラには敵わず、弱々しく声を出しながら机に突っ伏した。
「凹んでる彼のことは気にしないで、話をして、二人とも」
「あ、うん」
 ヤ・シュトラの言葉に、ヒナナは頷く。なんだか、砂の家や石の家でみんなと他愛のない話をしていた時に似ている……と懐かしさを感じながら、彼女は恋人との馴れ初めを語った―――
「……というわけで、今に至るの」
「素敵です! あちらの世界で出会い、長い時を経てこちらで再会して、積もった想いを打ち明けて……まるで恋愛小説みたいです!」
 ヒナナの話を聞いたリーンは、先程よりもきらきらと目を輝かせて、何度も頷く。ヒナナと水晶公は、自分達の物語が称賛され、嬉しさと恥ずかしさが入り混じった気持ちになっていた。
「ありがとう。そこまで褒められると照れるな……」
「私もいつか、ヒナナさん達のような素晴らしい恋愛をしてみたいです」
 リーンは恋に焦がれる乙女のような表情をする。それを見てヤ・シュトラはフフッと笑い、サンクレッドが認めてくれる恋人を連れてこないとね、と言った。
「めちゃくちゃ厳しそう」
「私も同感です」
「家族のことが心配なのは分かるが、あまり厳しくするのも良くないぞ」
 仲間達に次々と指摘され、沈んでいたサンクレッドの心はさらに沈む。
「き、傷口に塩を塗り込むなっての……よっぽどの相手じゃなければ反対しねぇよ」
 凹んでいる彼を見て、リーンは苦笑する。平和を取り戻し、皆が元気に生きている今だからこそ出来るやり取りだと思い、あの戦いで誰も失わずに済んだことを感謝した。
 そして―――英雄達の食事会は盛り上がり、夜の色も増していった。クリスタリウムの子ども達が寝る時間に差し掛かった頃、酒の酔いでそのままうたた寝をしてしまった水晶公は、ふと目を覚ます。
 見渡せば、アルコールに強くないヒナナは熟睡し、それをヤ・シュトラが見守っていた。ウリエンジェとリーン、サンクレッドの姿は見えない。
「あら、目を覚ましたのね」
「ああ……すまない、寝てしまって……」
「構わないわ。英雄様は爆睡中だから」
 そう言ってヤ・シュトラはヒナナの頭を撫でる。彼女は幸せそうな笑みを浮かべながら、むにゃむにゃと眠っていた。
「ヒナナは酒に弱いものな……リーン達は?」
「彼女達はペンダント居住館の客室にいるはずよ。疲れてリーンが眠くなってしまって、ライナに頼んで部屋を貸してもらったの」
「そうか、では、私は彼女を部屋へ送って行こう」
 優しい笑みを浮かべて、水晶公はヒナナを横抱きにする。意外と大胆だと思いながら、ヤ・シュトラは背を向けようとした彼に言った。
「その人のこと、よろしくお願いするわね。あなたも知っていると思うけど、色々無茶する人だから……」
「ああ。分かってるさ。もうヒナナには、辛い思いはさせない」
 強い決意をしたような表情で水晶公はそう言って、ペンダント居住館の方へ歩いていく。その背を見つめながら、あなたも同じよ、とヤ・シュトラは呟いた。
 ペンダント居住館に水晶公が用意させたヒナナの自室。そこに熟睡している彼女を運び、柔らかなベッドに寝かす。その間ヒナナは一切目覚めることなく、ぐっすりと眠っていた。
 ベッドの上ですやすやと夢を見ている彼女を見て、大好きな人がそこに存在し、笑顔であることに安堵する。それと同時に、水晶公は恋人を愛おしく想い、ベッドの端に腰を下ろした。そして、ヒナナの頬に、額に、唇にキスを落とす。沸き上がる想いは止まらず、もう一巡して、愛の言葉を呟いた。
「愛しているよ、ヒナナ」
 いつもより積極的になっている自分に水晶公は驚く。きっと、酒を飲んだからだろうと思い、無抵抗の彼女に何かしてしまう前にここを去ろうと立ち上がった。
 もう一度ヒナナを見れば、彼女は眠っている。可愛らしい寝顔だ。『好き』という溢れんばかりの想いを胸に閉じ込めて、水晶公は部屋を出ていった。
 彼が去った後。ヒナナはそっと目を開ける。部屋に誰もいないことを確認すると、両手で顔を覆って恥ずかしさを噛み締めた。