Vi et animo

いつまでも隣で語らせて

 エデンでの調査が少し落ち着いた為、彼女はクリスタリウムに戻って来ていた。英雄がいることに喜ぶ住民達に丁寧に挨拶を返し、恋人が待つ星見の間へ急ぐ。門番に取り次いでもらい、中に入ると、彼は難しそうな顔をして資料に目を通していた。
「んー……」
 どうやら、こちらに気付いてないらしい。それほど集中しているのだと思いながらも、気付いて欲しくて声を掛けた。
「ラハ、ただいま」
「っ……! ヒナナ!」
 はっ、と顔を上げた水晶公は、きらきらとした笑顔を見せる。耳と尻尾はぴょんっと立ち、出会えた喜びを表していた。
「サンクレッド達と調査に行っていたのではないのかい?」
「そっちの方が少し落ち着いたから戻って来たの。あなたに、冒険の話を聞かせたくて」
 『冒険』という言葉を聞いて、水晶公の尻尾がぶんぶんと動く。嬉しさを全身で表す彼を見て、ヒナナも幸せな気持ちになった。
「そうか! なら、私室に移動しよう。ちょうど珍しい紅茶をマーケットで仕入れたのだ。飲みながら聞かせて欲しい」
 そう言って水晶公は、奥の私室に入っていく。ヒナナもそれに続き、様々な本が山積みになっている部屋にお邪魔した。
「相変わらず、すごい本の数ね……」
 イル・メグにあるウリエンジェの家も相当な文献数だったが、ここも負けていない。年代、ジャンル多種多様な本達がどどん、と鎮座していた。部屋の主がどちらなのか分からなくなる。
「ああ、散らかっていてすまない。これでも片付けた方なのだ……星見の間にやって来たライナに見られ、怒られてしまって……」
 水晶公は申し訳なさそうな顔をする。彼が言っていたことを想像し、ライナさんらしいとヒナナは小さく笑った。
「ふふっ、まるでお母さんと子どもね」
「わ、私の方が生きている年月は長いのだが……乱雑としてしまっていたのは事実だから仕方ない。これからは注意されないように気を付けようと思う」
「一人で大変だったら、わたしも手伝うから言ってね?」
「ああ、ありがとう」
 優しい笑顔で水晶公は礼を述べる。
 ヒナナはいつも座っている席に腰掛け、お茶が用意されるのを待った。
 水晶公の私室にある、シュワシュワケトルくんによく似たケトルを使い、湯を沸かす。それを茶葉が入ったポットに注ぎ、中で葉が開くのを待った。次第に、茶葉が隠していた素顔を見せていく。出来上がった茶をカップに注ぎ、蜂蜜を少し足した。
「お待たせ、ヒナナ」
 彼はにっこりと微笑み、淹れたての茶を彼女に提供する。ヒナナの前に置かれたカップからは、茶葉のすっきりとした香りと蜂蜜の優しい匂いがふわふわと漂っていた。
「わあ、良い香り。今まで飲んだものとは少し違う気がする」
「そうだろう? これは、レイクランドで年に数回しか採取出来ない貴重な茶葉で入れたものなんだ」
「年に数回だけ? そんな大切なものを飲んでいいの?」
 水晶公から説明を聞いて、ヒナナは申し訳なくなる。一年の間に数回しか摘むことが出来ないなんて、貴重過ぎる。自分のようなただの冒険者が頂いていいものかと困っていると、彼は苦笑した。
「貴方はこの世界の英雄で、私の大切な人だ。それを飲む権利は十分にあるよ」
「うん……ありがとう、ラハ」
 その言葉を聞き、ヒナナは安心したように微笑む。水晶公は彼女の隣に腰掛け、期待の色をした目を向けた。
「それでは、聞かせてくれないか? 今回の冒険譚を」
「ええ、勿論」
 ヒナナはサンクレッド達との調査での出来事を語る。彼女の話を聞いて、水晶公は子どものように一喜一憂し、知らないことには驚いたりして、様々な表情を見せた。世界が光に覆われていた少し前まででは、考えられない光景だ。彼とこのような穏やかな時間を持てて良かったと、ヒナナは心から思った。
「そうか……アム・アレーンの遠い地ではそんなことが……」
「まだ分からないことはたくさんあるけれど、どうにかあの力を活用して、本来の姿を取り戻したいと思うわ。それが、ミンフィリアがリーンと私に託した願いかもしれないし」
 笑顔だったヒナナの表情が真剣なものになる。水晶公は気持ちの変化を察し、あなた達なら出来るさ、と言った。
「第一世界でも、原初世界でも、たくさんの困難をあなたと仲間達は乗り越えて来たんだ。大丈夫さ、願いは叶う」
「ありがとう。自分とみんなを信じて、前に進むわ」
「それでこそ、私の大切な英雄だよ」
 大好きな人の顔が明るくなって、水晶公は嬉しく思う。すると、ヒナナはじっと彼を見つめた。
「ん? どうしたんだい?」
「あなたも一緒だからね」
「え?」
「わたし達がこの世界でやらなければいけないことを達成した時、そこにあなたがいなかったら、承知しないんだから」
 つぶらな桃色の瞳が、逃がすものかと強く視線を送ってくる。水晶公は彼女の言いたいことを理解し、恐縮そうな笑みを浮かべた。
「……信用されていないんだな」
「あの時お説教したのに、それでも、もしもの時は……なんて言い出す恋人を信じられるわけないじゃない。離れてる時、いつも心配なんだから……」
 ヒナナはしゅん、と悲しげな表情になる。自分が彼女を想っているように、彼女も自分を愛している。愛している人が、自分を助ける為に命を捨てる覚悟を何度もしたら……当然、怒るし信じられなくなる。ヒナナを思っての言葉だったが、失敗だったと再度認識した。
「不安にさせてすまない。もう絶対に、あんなことは言わないし、自分を犠牲にするようなことはしない。約束するよ」
 水晶公はそっと彼女を抱き締める。多くのことを抱えつつも、自分のことを案じていてくれたのだと思うと、胸が締め付けられた。
「……約束破ったら、本当に許さないんだから」
 言葉を返すヒナナの声は震えていた。まるで、涙を耐えているかのように。
「ああ……」
 水晶公は、頷くことしか出来なかった。一度ならず二度までも、大好きな人に負担を掛けさせてしまった、という事実が重くのしかかる。これから先は、絶対に彼女を悲しませてはいけない。そう強く感じ、ヒナナの心が落ち着くまで、ぎゅっと抱き締めていた。
 暫くして―――ヒナナは目を覚ました。どうやら、疲れてそのまま眠っていたらしい。わたしとしたことが……と思い、起き上がろうとするが、体が上がらない。おかしいと察知して確認すると、彼女は水晶公の腕の中にいた。
「っ……!」
 彼はヒナナを抱き締めて、ベッドで眠っている。ヒナナが少し動いても起きないということは、深い眠りに入っているようだ。
(わ、わたし、ラハに抱き締められて寝てたってこと……?)
 気付いた事実に、ヒナナは恥ずかしくなる。確かに意識を失う前、抱き締められていた記憶はあるが……。
(ラハは恋人だけど……恋人だからこそ、恥ずかしい……)
 ぽーっと顔が火照る。ときめきと羞恥が胸に溢れ、ヒナナは混乱しそうになった。
 彼が起きるまでずっとこのままなのは耐えられないと思い、抜け出そうとするが、抜けさせない。水晶公の腕の中で、ヒナナは恥ずかしさで死にそうになった。
「ううっ……ラハ、ねぇ、ラハ、起きて。わたし、自分の部屋に戻るから」
「んっ……ヒナナ……」
 強く揺すって、目を覚まさせる。ヒナナは帰宅の意思を示したが、水晶公はそれを却下した。
「今日は、ここに泊まっていけばいい。一緒に眠ろう?」
「へっ? いやっ、そのっ、それが恥ずかしいから……」
 わたわたしながらヒナナは意見を返す。水晶公はクスリ、と少し意地悪く笑い、彼女の頬に口付けた。
「ひゃっ!」
「今夜は隣に居て欲しいんだ。駄目、だろうか?」
 甘えるような顔を見せて、ヒナナに訴える。その表情にヒナナの中の母性本能が刺激され、思わず了承してしまった。
「しょ……しょうがない、な……いいよ、一緒に夢を見ましょう」
「ふふっ、ありがとう、ヒナナ」
 にっこりと笑って、水晶公はヒナナを抱き寄せる。顔が近付き、彼女はどきりとした。
「おやすみ、ヒナナ……大好きだ」
「んっ……」
 優しい声で言葉を紡ぎ、水晶公はヒナナにキスを贈る。甘く柔らかな口付けは、彼女の心を絆した。
「ラハ……おやすみ」
「ああ、夢でまた会おう。愛しい英雄様」
 そう言って水晶公は目を閉じる。気障な言葉にドキッとしながら、ヒナナも再度、夢の世界へ落ちていった。