夜を取り戻したクリスタリウムの酒場で、英雄と称される彼女はせっせと働いていた。調理師ギルドで修業した経験もあるので、その腕は確かなものだ。簡単なつまみからしっかりした主食まで、彼女は迷うことなく作り出していく。味も抜群のようで、客席からは絶賛の声が響いていた。
「世界を救う力を持っていて、料理も上手いなんて、闇の戦士様はすげぇな!」
「ああ、優しい味で心があったまるよ」
クリスタリウムで働く彼らの声は、厨房にいる彼女にも届く。なんだか照れるなと思いながら手を動かしていると、店主のグリナードが声を掛けてきた。
「ただ少し手伝ってもらうつもりが、あんたばかり厨房に立たせてしまってすまない」
そう、初めは小さな手伝いのつもりだった。闇が戻り、人々が復興の為に働き始め、酒場も前より繁盛していて、誰か人手が欲しい。そんな話を耳にして、自分で良ければと彼女は立候補したのだ。グリナードからは、世界を救った闇の戦士様に雑用をお願いするのは申し訳ないと言われたが、困っている人を助ける行為に身分は関係ないと説得し、彼の手伝いをしているのだった。
「いいのよ。修行の成果を披露出来て楽しいし、みんなに喜んでもらえて嬉しいわ」
彼女は笑顔で話す。その間も、料理を作る手は止まらない。鍋の中でぐつぐつと煮える野菜の様子を見たり、オーブンで焼かれている肉の状態を確認した。
「あんたには頭が上がらないよ。本当にありがとな」
グリナードはぺこぺこと何度か頭を下げてから、出来上がった料理の皿を手に取る。
「今度、とびきり上手い飯でも奢らせてくれ」
調理場の主となっている彼女にそう言って、グリナードは客席へ歩いていった。食べることが好きな彼女は、何を奢ってもらおうかとわくわくしながら、残りの仕事に取り掛かった。
闇の戦士様が酒場でコックとして手伝いをしている―――その噂は、一夜にしてクリスタリウム中に広がり、かの水晶公の耳にも届いた。定期報告に来たライナからそれを聞いた彼は、ぴくっと耳を動かした。
「あの人がコックを……?」
水晶公と闇の戦士である『ヒナナ』は、クリスタリウムの住民公認の恋人同士だ。自分の好きな人が料理の腕を振るっていると聞き、水晶公の中で好奇心と小さな嫉妬が生まれる。彼女は恋人である以前に『英雄』なのだから、困っている人を助け、その力を使っても何も問題はない。けれども、まだ自分ですら食べたことがないヒナナの手料理を住民の皆が先に食べた、という事実に、彼は焦燥を感じたのだった。
「とても美味しいと、昨夜は大好評だったそうですよ。あの方自身も、皆に喜んでもらえて嬉しいと言っていたとか。戦闘の腕も調理の腕も抜群だなんて、やはり闇の戦士様は違いますね」
ライナは感心した様子で話を続ける。水晶公の焦りには気付いていないようだ。
「……ああ、そうだな。ヒナナは、昔から器用な人だったから」
「自分も頑張らないと、という気持ちになります。今日もまた、厨房に立つそうですから、公も仕事を終えたら顔を出してみては? 皆、喜ぶと思いますよ」
どこか彼の背中を押すように、ライナはそう言って星見の間を出ていった。それを見送り、水晶公はぽつりと呟く。
「……もしかして、私の感情がバレていたのか……?」
正体を隠す必要がなくなってから、顔や尻尾を出すようにしている。その為、表情や声の抑揚を抑えても、耳や尻尾で気持ちが漏れてしまうことが多々あるのだ。心の中の好奇心と嫉妬がライナに伝わってしまったから、あのように言われたのではないかと思い、水晶公は居た堪れない気持ちになった。孫同然のように大切に育ててきたライナに気遣われるなんて、自分もまだまだだ。彼はそう感じ、小さく苦笑いを零した。
同日夜。クリスタリウムの住民で賑わう酒場に、水晶公は足を運んだ。皆が敬愛するもう一人の英雄の登場に、一同は沸き立つ。
「おおっ、水晶公!」
「お元気そうで何よりです!」
「水晶公も闇の戦士様の料理を食べに来られたのですか?」
まるで有名人が現れたかのように人々は水晶公に駆け寄り、声を掛ける。彼は自分を慕ってくれる住民達に感謝の気持ちを抱きつつ、真っ直ぐに厨房が見えるカウンターの席に向かった。
「おや、恋人の働きぶりを見に来たのかい?」
水晶公の姿を見るなり、グリナードはそう言って彼をからかう。昔からの信頼関係があるからこそ、出来ることだった。
「ああ、まぁ、そんなところだ」
本当は『ヒナナが作る料理を食べに来た』のだが、言い出せなくて水晶公は誤魔化す。折角だから少し飲んでいけとグリナードに勧められ、彼は席についた。口にしたいのは酒ではなく恋人の手料理なのに……。何故か恥ずかしさがあって、彼は言いたい事が言えなかった。
グリナードはロイヤルグレープの果汁を使ったカクテルを作り、水晶公に提供する。彼はそれを一口、口にして、調理場に立つヒナナを見た。忙しそうに働きつつも、その顔にはやりがいを感じているかのような笑顔が浮かんでいる。本当に、誰かの力になることが好きなのだなと、恋人の英雄としての一面に喜びを感じた。思わず、表情が綻ぶ。
それに気付いたグリナードは、ヒナナに一言二言囁いた。ヒナナは嬉しいような恥ずかしいような表情をする。何を言ったのだろうと水晶公が困った顔をしていると、彼はただ、微笑みだけを返した。
少しして、ヒナナが厨房から出てくる。彼女は水晶公の隣に腰掛け、来てくれてありがとう、と言った。
「コックの仕事は良いのかい? まだ、店は営業中だと思うが……」
客がいるのにコックが持ち場から離れて良いのだろうか。不安に思った彼に、グリナードが料理を提供しながら答えた。
「今日は特別だ。闇の戦士様の恋人がいらしてるからな」
「なっ……」
水晶公の頬が一瞬にして赤く染まる。それを見てヒナナは、小さく笑った。
「恋人の手料理を食べに来たんだろう? なかなか言わねぇから、ご本人に隣に来てもらったぜ」
「ば……バレていたのか?」
戸惑う水晶公に対し、グリナードもヒナナも頷く。正体を明かしてから、感情を上手く隠せなくなっている気がする。彼は複雑な気持ちになった。
「食べたいなら言ってくれればいいのに……」
「いや、そうなのだが……その……は、恥ずかしくて、だな……」
耳や尻尾を上下させながら、水晶公は心の内を語る。可愛らしい人だとヒナナは思い、さらに愛おしくなった。
「そんな水晶公に、闇の戦士様特製サーモンクリームパスタだ。昨日も大好評だった一品だぞ」
先程、提供した料理をグリナードが紹介する。ヒナナは笑顔で水晶公を見つめ、どうぞ、と促した。
「ああ。頂くよ」
彼はフォークを手にし、パスタを絡める。程良くクリームが絡まったパスタはフォークに巻き付き、食欲をくすぐる香りをふわっと放った。そんな魅力的なパスタを、水晶公は口に運ぶ。口内に料理がやって来た途端、美味しさと込められた優しさが、彼の心を包んだ。恋人、という贔屓目なしにもとても美味で、何度も頷く。
「とても美味しいよ。頬が落ちてしまいそうだ」
「本当!? 他にも自信作があるの。どんどん食べてね!」
そう言ってヒナナは厨房に戻っていく。どうやら、自信作を出来立てで食べてもらいたいらしく、調理を始めたようだ。
喜びに溢れている恋人の姿を見つめ、水晶公は幸せな気持ちになった。
「心を込めて作ったものを好きな人に褒められるのは、料理人として最高の喜びだ。あんたらを見ていると、こっちも嬉しくなるよ」
グリナードはそう言って、他の客の為の料理を作り始める。自分から言い出せなかったのは不甲斐ないと感じつつも、大好きな彼女の素敵な笑顔を見ることが出来て良かったと、水晶公は思った。
翌日。マーケットでは、漁師から仕入れたサーモンが飛ぶように売れたと言う。それを聞いてグリナードは、闇の戦士様効果だな、と呟いた。