Vi et animo

××、こっちを向いて

『守られるだけのお姫様ではなく』(エス光)

 ラストスタンドの店長さんから、ラザハンである香辛料を買い付けて来て欲しいと依頼を受けたわたしは、蒸し暑さのある彼の地にやって来た。終末の災厄が降り注いだ時は、悲しみに溢れていたこの地も、現在は元の形に戻りつつある。賑やかな声が飛び交うバザールで目的の香辛料を買い、道具鞄に収めてエーテライトへ向かおうとした瞬間、聞き覚えのある声が後方から飛んできた。
「折角こっちに来たのに顔を見せてくれないなんて、案外冷たい恋人サマだな」
 耳に届いた声色に心が高鳴る。喜びと申し訳なさを覚えて振り返ると、そこには同じ暁の血盟として星を救う為に戦ってくれた、相棒兼恋人の彼がいた。
「エスティニアン……!」
 竜騎士の鎧を纏っていない軽装で、優しい笑みを浮かべている。こちらに近付くと、ぽんぽん、と頭に触れた。ミコッテのわたしより背の高いエスティニアンを見上げて、ごめんなさい、と告げる。
「何か依頼を受けてて忙しいかもって思って……」
 正直、ラザハンに行くと決まった時に、彼に会えるかもしれないと期待した自分はいた。けれども、相棒や恋人という特別な言葉で結ばれている関係であれど、わたしもエスティニアンももう暁の血盟ではない。ただの冒険者と放浪の竜騎士だ。それぞれ仕事や目的がある。会いたいという気持ちがそれを邪魔してしまうのではないかと思い、目的を達成したらすぐにオールドシャーレアンに戻ろうと考えていた。
「気にするな、まだこれと言って大きな依頼をヴリトラから受けているわけじゃない。元の生活へ戻ろうとしている一人ひとりをちょっと手伝ったり、魔物を退治したり……そんなもんだ」
「そうなんだ。ラザハンのみんなも、あなたが傍にいて安心だと思うよ」
「だといいがな……ヒナナ、ここで立ち話もなんだ。メリードズメイハネへ行かないか?」
 星を救う長い旅路の途中、仲間達と一時の休息を取った場所。あそこならゆっくり気兼ねなく話せるだろう。ラストスタンドの店長さんは、急ぎではないからと言っていたので、寄り道することに問題はない。わたしはエスティニアンの言葉に頷き、二人でメリードズメイハネへ向かった。
 見知った顔のウェイトレスさんに案内され、町の景色がよく見える席に座る。ラザハン特有の暑さを凌ぐ為のさっぱりとしたジュースを口にしながら、他愛のない話から始めた。互いが知っている、世界の近況や自分自身のこと、わたしが各地を訪れて見てきた、他の仲間達の様子などなど。それを聞いてエスティニアンは、安堵した表情を見せた。
「他の奴らも元気そうで何よりだ。一番は、お前の傷が癒えて、こうしてまた動けるようになったことだがな」
「アルフィノやクルルさん、それにオールドシャーレアンにいる治療師さん達の措置が迅速で的確だったから……」
「お前が大怪我を負ってラグナロクに戻ってきた時は、このまま失ってしまうんじゃないかって肝を冷やしたぞ」
 案じる気持ちが顔に表れ、険しい表情でわたしを見つめる。あの時は、後先考えずに冒険者としての楽しみを優先してしまったためにああなってしまったので、わたしにも非がある。眉間に皺が寄った恋人を見て、申し訳なくなった。
「心配掛けてごめんなさい……でも、わたしもウルティマトゥーレであなたが消えた時は、もう会えないかもしれないって怖かったんだからね?」
「なっ……」
 己の非については謝りつつも、その前に感じた彼と同じ気持ちについて言及する。大切な人を失うかもしれない、という思いを抱き、不安に陥ったのはお互い様なのだ。命を懸けなければ走り抜けられなかったほどの危機だったのだから、仕方ない部分もあるのだが。
 自分だって同じように心配だったということを伝えると、エスティニアンは言葉を詰まらせ、珍しく『申し訳なさそうな』顔を見せた。
「不安にさせてすまない……ああするのが一番だと、あの時の状況や竜達を見て思ったんだ」
「エスティニアン……今互いに命あってここにいるんだから、そんな顔しないで、あなたらしくないわ」
「いや、それに……俺はお前のことを恋人だと……護らなければならない存在だと思っていたのに、終末を謳うものと一人で戦わせてしまった……元蒼の竜騎士が聞いて呆れる」
 自分を責める言葉を彼は口にした。独り善がりで、心を閉ざし、復讐の為だけに生きていた昔の彼とは全く違う。闇から解放され、護るべきものを見つけた竜騎士は、恋人を支え、守護出来なかったことを本気で悔やんでいた。わたしという存在を心から愛さなければ、そんな感情抱かない。愛情を実感し、感謝の念を持った。
「ありがとう、その気持ちだけでも十分よ。それに、わたしは守られるだけのお姫様じゃない。みんなの為に戦う、冒険者なんだから」
 にっこりと笑顔を見せて、自分は『大丈夫』だとエスティニアンに伝える。彼はわたしを見て、何かネガティブなものから解放されたような表情をした。
「ああ……そうだな、お前は護る側の人間でもあるもんな」
「そういうこと!」
「重たい空気にさせて悪い。仕切り直しに酒でも飲もうぜ、前に仕事を手伝ったやつから勧められたのがなかなか美味くてな」
 そう言って彼はウェイトレスさんを呼び、彼女に聞いた事のない名前のお酒を注文した。
「代金のことは心配するな。ラザハンにいる間、飲食代はヴリトラのツケで良いって言われてるからな、お前の分も勝手に加えておく」
「勝手にって……もう……」
 自分勝手なところは前と変わらないなと思いつつ、あることに気付いた。
「ちょっと待って、エスティニアン。わたし、あんまりお酒に強くないんだけど……」
「知ってる」
「え?」
 アルコールに弱い、ということを彼に伝えていなかったと思い、長くは付き合えないという意味で申し出たら、エスティニアンは当然のように周知のことだと返してきた。なら、何故わたしにも飲ませようとしているのだろうか。彼との恋人としての付き合いをスタート地点から振り返り、あっ……と声を漏らした。
「もしかして、酔わせて何かするつもり?」
「それはどうかな……久しぶりに会えたんだ、ゆっくり楽しもうぜ」
 余裕のある含み笑いを見せて、エスティニアンはわたしを見つめる。酔わせても酔わせなくても抱くつもりなんだなと察し、このあとのあれそれを考えて胸を熱くした。
「……うん、あなたと過ごす時間を、じっくり楽しませて」
「ああ、寝かせねぇからな」
 そう言ってぺろりと唇を舐める。色っぽい仕草にドキドキして、頬が熱を持った。お酒を飲む前から、恋人の魅力に酔って思考能力が低下しそうになる。強くて優しくて、少し自己中心的な彼が向ける愛情に喜びを感じた。
「あの、明日はオールドシャーレアンに戻りたいから、お手柔らかに、ね?」
「くくっ、分かってる。俺もガキじゃねぇんだ、自制くらいするさ」
 わたしの言葉に、エスティニアンは無邪気に笑う。子どもっぽさが見える笑みを可愛いなと思いつつ、星が救われた今だからこそ感じられる幸せを噛み締めた。



『愛の芽生え』(ヘル光)

 それは、使い魔に対して抱いてはいけない感情だと思った。他者を『愛おしい』と感じる恋愛の情。普通であれば、同じ人同士で育むものを、あろうことか自分は、十四人委員会のひとり、アゼム様の使い魔に抱いてしまった。この世に存在する理からして、許されないことだろう。いや……世界に疑問を抱いている自分にとって、そんなこと気にする必要はないのかもしれないが。
 ともかく、他人に言えることではなかった。気付いているのは、恐らくメーティオンだけ。彼女には、『この好きという気持ちはあの人に言ってはいけない』と伝えてあるので、本人にバレることはないはずだ。あとは、自分の中でどう扱うか……見えない感情を持て余し、ふと何もない部屋の壁を見つめた。
 すると。
「どうかしたの? ヘルメス」
 透き通った水のような美しい声が耳に届く。先程まで脳内で考えていた『愛おしい』感情の相手―――アゼム様の使い魔だというヒナナが、自分の顔を心配そうに覗き込んだ。想定していなかったことに驚き、体が跳ねる。何か答えなければ、彼女の不安が深くなってしまうと思い、アンビストマのことで少し考え事を、と嘘を吐いた。
「アンビストマ……あの、水場にいたよく飛ぶ子ね」
「ああ、敷地から逃げ出すということは、今の場所では運動量が足りないのかと思って、もっと工夫をすべきだと思案していたんだ」
 嘘がつらつらと口から出ていく。彼女はそれを信じ、ヘルメスは仕事熱心なのねと言った。
「どの生命も一生懸命生きている。自分はその一つひとつを、大切にしていきたいんだ。だから、生活に支障があるのなら改善する努力をしたい」
 どの命も大切にしたいという気持ちは真実だ。この世界に無駄な存在などないと思っている。故に、『必要なし』と判断されてしまった生き物が抹消されることには、何事にも代えられない痛みを感じていた。他の者が持ちえない異端な部分を、ヒナナはエルピスの花を黒く染めることで受け入れてくれた唯一の存在だ。だからこそ愛おしいと思うのかもしれないが、伝えても困らせるだけだろう。
「真っ直ぐで、とても優しい……余計、心配になっちゃうな」
「ヒナナ……?」
「命に対して親身なのは素敵なことだと思う。けれど、それがあなたを苦しめているんじゃないかって感じて……不安なの」
 涙が零れそうな表情で、彼女は視線を向ける。ヒナナの口から紡がれる温かな言葉に、持て余されていた感情が居場所を見つけた。
 この子は自分の心をぼんやりとだか見透かしている。何が希望で、何が絶望なのかを知っている。だから、自分が世間的に間違ったことをしないように一生懸命支えようとしているんだ。出来る限り傍にいることで。それに気付いた時、伝えるべきだと思った。二度も希望を与えてくれた彼女に、知っていて欲しかった。
「……ヒナナ」
「えっ……?」
 名前を呼んで、ぎゅっと抱き寄せる。ヒナナは椅子に座っていた自分の膝に跨る形となり、驚いて震える息遣いが、耳元で聞こえた。
「ありがとう……君のことが、好きだ……愛している……」
「ヘル、メス……?」
 唐突な告白に、彼女は戸惑う。どうしよう、と言いたげな表情で自分を見つめ、言葉に迷っていた。
「突然すまない……けれど、今伝えるべきだと感じたんだ。自分の心の奥底を見透かしている君には、二度も希望をもらったからね」
 瞳が揺れている。柔らかな頬を優しく撫でて、好きだと再度言葉にした。
「本来、人が使い魔に恋をするなんてきっといけないことなのだと思う。前例などないから分からないけれど……」
 自分の気持ちも、世の理から外れているかもしれないこともすべて伝えた。あとは、ヒナナの気持ちが整うのを待つだけだ。愛おしさを込めて撫でた頬は熱く、羞恥と感情の昂りを抱いているのだと察せられた。
「ヘルメス……あのね……」
 少しして、彼女は口を開く。動揺が見えていた瞳からそれは消え、代わりに感情の昂りから来る涙が滲んでいて、どきりとした。
「好きって言われたの、びっくりしたけれど、嬉しかった……わたしも、あなたのこと、好きだよ」
「ヒナナ……」
「気持ちを伝えてくれてありがとう、大好き」
 ああ、これで想いと想いが繋がった。そう思って、気分が高揚する。嬉しくて堪らなくて、ヒナナの唇に自分のそれを重ねた。
「んっ……!」
 一回目は軽く唇を吸い、二回目は探るように唇を舐める。柔らかく瑞々しいそこは少しだけ開かれて、その瞬間に自分は舌を差し込んだ。くちゅり、と音がして、甘い声が彼女から零れる。包むように舌を絡めて、気持ち良さを求めて弄んだ。
「っ……ぁ……ヘルメスっ……」
 解放すれば、上気し、蕩けた表情のヒナナが自分を見つめていた。可愛らしさと艶めかしさが共存している様子は、体を熱くさせる。
「そんな顔をしたら、止まらなくなってしまう……」
「いいよ、止めなくて……」
「なっ……! あ……君は、その……他者と交尾の経験はあるのか?」
 自分の中の欲望を加速させるような言葉に揺らぎつつも、主導権を握る方として念の為の確認を行なう。そもそも使い魔に交尾という生殖行為の概念があるのかどうかさえ疑問だった。使い魔は作成者それぞれで、目的も出来ることも異なっているからだ。アゼム様がどういう意図で彼女を作ったかによって、可能な行動も限られてくる。
 ヒナナは恥じらいを見せ、そっと目を伏せた。
「えっと……経験はないけど、何をするかは知ってる……だから、その……ヘルメスに、もっと、愛されたい、な……」
 言い終わると、潤んだ大きな瞳が躊躇いがちに見上げた。それは自分の中の理性と呼ばれる部分をぼろぼろと崩れさせる。
 柔らかな体毛に覆われる耳に口付けて、短く笑う。その息遣いにも、ヒナナはぴくりと体を反応させていた。
「君がそう言ってくれるのなら、もっと深く愛し合おう……甘く蕩けるヒナナをたくさん見たい」
「んっ……優しく、してね?」
 未知のことに不安を抱く彼女に対し、もちろんだと返す。小さな体を横抱きにして、柔らかなベッドが待つ寝室に向かった。部屋の鍵を閉めて、ヒナナを寝台に下ろす。期待と心騒ぎが半々といった様子の彼女を見下ろし、後者が消えるように口付けの雨を降らせた。



『それは恋なのか否か』(エレ光)

 『アーテリスの植物』について知りたい、という依頼をふわふわ可愛らしいレポリット――名前をグローウィングウェイというそうだ――から受けたわたしは、グリーナーズギルドにやって来た。ここなら、植物に詳しいグリーナーがいるはず、と考えたからだ。足元でぴょこぴょこ耳を動かす彼を抱っこし、ギルドの受付に事情を話した。
「植物に詳しい、か……そうだなぁ、今オールド・シャーレアンにいるグリーナーだったら……」
 顎に手を添え、考える受付の返答を待っていると、後方から聞き覚えのある声がした。
「またおたくか……何かあったのか?」
 振り返ると、そこには厄介な奴に会ってしまったなと顔に書いてあるエレンヴィルがいた。何かの報告に来たらしく、手には書類とサンプルらしきものが入った袋が握られている。
「エレンヴィル……あっ、そうだ。あなた、植物にも詳しい?」
 以前、トードに変身して調査をした時に、正体を簡単に見破った件を思い出しつつ尋ねる。彼は書類とサンプルを受付に提出し、報酬のお金が入っている布袋を受け取ってからこちらを見た。
「まあな。動物、植物問わずに回収してるんだ、知識はおたくらよりある」
「それならお願いがあるの……この子が、アーテリスの植物についてお勉強したがってて、質問に答えたりしてほしいんだけど」
 グローウィングウェイを彼に見せ、用件を伝える。面倒そうだった表情がさらに深まった気がした。
「や、やっぱり駄目かな……? ちゃんと報酬は払うから」
 断られそうな空気を感じ、きちんと対価を渡すことを伝える。すると腕の中のグローウィングウェイがあっ……!と声を上げた。
「どうしたの?」
 彼は耳をしおれさせ、潤んだ瞳でわたしを見た。
「ヒナナさん、ぼく、アーテリスのお金を持ってないです……」
「えぇっ……!」
 想定外の出来事だった。てっきり、リヴィングウェイや哲学者議会の人達から貰っていると思っていたから。
「そうなのね……どうしよう……」
 困惑する彼と見つめ合い、代替案を考える。このままではエレンヴィルに先生役をお願い出来ない……悩んでいるわたしに対して、様子を見守っていたエレンヴィルは唐突なことを口にした。
「礼に、おたくとデート出来るなら講師を請け負ってもいいけど」
「えっ、本当……? って、デート!?」
 予想しなかった単語に慌てる。耳と尻尾をばたばたさせるのを見て、彼はくすりと笑った。
「そんなに動揺するか? 星を救った英雄サマも、案外初心なんだな」
「だ、だって……デートってその、思い合った男女がするもので……」
 顔が熱くなる。腕の中のグローウィングウェイは、急に恥ずかしがり始めたわたしを不思議そうに見た。
「もしかして、お二人は恋人というものだったのですか?」
「ち、違うよ」
「今後の展開ではそうなるかもな」
 否定する言葉に被せるようにエレンヴィルはとんでもないことを言う。ぱっと視線を向ければ、楽しそうに笑っていた。
「どうする? 可愛いうさぎのために俺とデート、してみるか?」
 どういう真意でそんなことを言ったのか、わたしには分からなかった。さっきまで面倒そうにしていたのに、どうして突拍子もない案を出したんだろう。
 訳が分からなかったが、知りたいと思ってアーテリスに来てくれたグローウィングウェイを何も無しに帰すわけにもいかない。わたしはエレンヴィルの提案を呑むことにした。
「……あなたとデートするわ。代わりに、ちゃんとこの子に植物のこと教えてあげてね」
 決意した表情で彼を見る。エレンヴィルは小さく笑って、もちろんだと答えた。
「この後、ラザハンの方に植物採集に行く予定がある。それにこいつも連れてって、実際に見せながら教えるよ」
「ありがとう」
「ということで、植物採集は英雄サマとのデートのあとだ。おまえはここで集められた植物とか見て、待っててくれないか?」
 腕の中にいるグローウィングウェイの頭を撫でて、予定を告げる。報酬前払い制なんだと思いながら、わたしも彼を見た。
「わかりました! お二人とも素敵な時間をお過ごしください」
 そう言って彼は抱擁から抜け出し、受付の台へジャンプする。上手く着地し、ギルドスタッフに一礼した。
「少しの間、見学させてやってくれ。未来の植物研究者になるかもしれないからな」
 わたし達のやり取りを掻い摘んで見聞きしていた彼は頷き、小さな研究者のたまごを受け入れる。愛らしい手を振って見送ってくれるグローウィングウェイにまたね、と告げてエレンヴィルに視線を向けた。
 彼は穏やかな笑みを浮かべて、手を差し出す。ヴィエラ族の彼の方が、当然背が高いので、なんだか童話の中の王子様にそうされた気持ちになってしまった。いくらなんでも男性に対して警戒心が薄過ぎる、と自分を律し、お仕事なのだからと思って手を取る。そっと握り返して、こっちだ、と歩き始めた。
 一緒に訪れたのは、魔法大学近くの森だ。何かの研究か調査をしている学生以外、一般人はいない。ここに来るまで、わたしの体調や最近どうしているかということくらいしか会話がなかったエレンヴィルは、学生達の様子を確認してから、森の奥まった場所へ入っていった。
「どこまで行くの?」
「この奥。おたくに見せたいものがある」
 彼はきちんとした大人だ。人気のないところに連れて行って何かをする、なんてことは恐らくないだろう。信じて大丈夫だと考え、彼の案内に従った。
「……不安か? 協力してくれた仲間と言えど、深く心を許していない男と人気のない場所へ行くのは」
「えっ、あ……その……」
 まるで心を読んでいたかのように、エレンヴィルは指摘する。どう返すべきか迷い、少しだけ、と答えた。
「無理矢理取って食うような真似はしない。おたくの気持ち次第だ」
 口元に薄く笑みを浮かべて、彼はわたしの手を引いて進んでいく。真意の見えない態度にどこかドキドキしながら、森の奥へ足を踏み入れた。
 若々しい緑を主張する木々達の間を歩き、目的の場所へ向かって行く。エレンヴィルはどっちかと言うと口数が少ないようで、比較的会話が多い男性――ラハやアルフィノ――とともにいることが多かったわたしにとっては珍しかった。けれども、しっかりと相手のことは見ていて、足元に出っ張った根や鋭い切っ先の草があれば事前に注意するよう促してくれる。静かな中に温かな優しさを持つ人なんだなと道中で感じた。
 歩き続けると、わたし達は少し開けた場所に出た。そこだけ穴が空いたように、上方に木々の緑がなく、太陽の光が差し込んでいた。陽光が一番当たる箇所には、白い花と青の花が咲いている。
「わぁ、綺麗。これってガーベラ?」
「ああ、そうだ。青色は珍しいけどな」
 美しいものを見て、晴れやかな気持ちになる。エレンヴィルと一緒に傍に近付き、腰を下ろした。
「お花もだけど、陽の光が差し込んで素敵な場所ね。ここが、見せたかったとこ?」
 わたしの問いに彼は頷き、花に視線を向ける。白と青の花弁を指で撫ぜ、再び口を開いた。
「ただ綺麗なだけじゃない。ここにいると、安心するんだ、太陽に見守られているようで」
 穏やかな笑みを浮かべ、丸く見える空を見上げる。釣られて視線を移動させると、温かく懐かしい空気を一瞬感じた。
 もしかしたら、ヴェーネスの思いが根付いているのかもしれない。そう思いつつ、優しい場所ね、と言葉を紡いだ。
「そうだろ? 俺達は星に見守られ、ともに生きているんだと感じられる……生命の温かさを教えてくれる場所だ」
「生命の温かさ……あなた達グリーナーは、命を大事にしているものね」
「当然だ。世界にどのような動植物が存在するのかを知り、回収するのが俺達の役目だが、あいつらの命を脅かすようなことは絶対にしない」
 エレンヴィルは真剣な面持ちで話した。心からそう思って、グリーナーという仕事をしているのだと理解出来るものだった。
 すぐに彼はあっ……と短く声を漏らし、語り過ぎたと謝る。わたしは首を横に振った。
「そんなことない。あなたのことを知れて、嬉しく思うわ。立派な考え方を持っているし、優しいし……ちょっと不器用な性格なのかなって思ってたから」
「……おたくは素直だよな」
「え、あ、ごめんなさい」
 正直に話し過ぎたのだと気付き、困惑する。余計なことを言ってしまったと視線を泳がせた。
 彼は楽しそうにくすくすと笑い、地面に両手をついて顔を近付ける。美しい整った顔が至近距離にあって、胸が熱くなった。
「謝らなくていい。これで許してやるから」
「へっ……? んっ……」
 これとはなんだろうと考える時間もなく、エレンヴィルはわたしの唇にキスをする。触れるだけの短いものだったが、胸中の熱はその温度を高くさせた。
「え、エレンヴィル……!?」
「初めからそういう気持ちを抱いていたわけじゃない。おたく達のためにクルルの依頼で動いている時に、おたくの話を『今まで助けられた』って奴らから聞いて、ただ興味を持っただけだったんだ。知っていくうちに、可憐だけれど強く、一生懸命で優しいおたくに好意ってのを持ってて……」
 どこか照れながら、彼は心持ちを話してくれる。わたしのことを知り、そこから好きになってくれて嬉しいという気持ちが生まれつつも、こんなこと初めてでどうしたらいいか分からなかった。
「俺は居を構えない、転々とするグリーナーだ。想い人はまだ作らないつもりだったんだが、おたくを試してみて、もしも色良い返事がもらえたら、恋人というのを迎えてもいいと考えた」
「だから、デートを提案したの?」
「そういうこと。ギルドでおたくとレポリットに会えたのは、さすがに偶然だがな」
 よっ、と近くに座り直して、小さく微笑む。彼の温かさが感じられる笑みで、どうしていいか分からないという迷いが少し落ち着いた。
「で、どう思ってる? おたくの気持ち、聞かせて欲しい」
「えっ……と、わたしは……」
 とても悩んだ。今の今まで、冒険者として、英雄として歩むことばかりに目を向けていて、恋愛など考えたことなかったから。透き通った瞳で自分を見つめる彼がちらりと視界に入る。胸がちょっと熱くなって、これが恋なのかな……と分からないなりに思考を巡らせた。でも、自分の答えには至らない。わたしはエレンヴィルのことを恋人として考えているのか、これからそう考えて過ごせるのか、解が見つからなかった。
「……ヒナナ?」
 なかなか回答しないわたしを、彼は心配そうに見つめる。それに気付いて一言謝った。
「たくさん考えたんだけど、分からない……エレンヴィルに自分を知ってもらって、好きって思って貰えたのは嬉しいんだけど、自分が同じように好きなのかって考えると、そうなのか分からなくなって……」
 言っていて申し訳なくなる。少しずつ声が小さくなって、視線も逸れていった。彼の傍にいるのがいたたまれなくなって、立ち上がろうとすれば、抱き締めて止められる。
「きゃっ……」
「ちゃんと話してくれて、ありがとう。おたくの気持ちが知れて良かった」
「エレンヴィル、わたし……」
 『ちゃんと答えられなくてごめんね』と言いたかった。でもそれは、彼の口付けによって遮られた。さっきよりも長くキスをされて、心臓がドキドキする。頬がとても熱かった。
「いつかおたくに、Yesって答えさせる。ヴィエラ族は長命だからな、ゆっくり考えるといい」
 そう言って彼は立ち上がる。グリーナーズギルドに戻るのだと察したわたしは、慌てて腰を上げた。何事もなかったかのように、爽やかに澄ました彼についていく。国を救うよりも、星を救うよりも難しいことが目の前に現れたと思いながら、歩いてきた道を戻った。



『支えたい英雄と甘えたい男子』(ロイ光)

 タタルさんからヤ・シュトラへのとあるプレゼントを渡したあと、彼らの様子が気になったわたしは、イディルシャイアに立ち寄った。夜でもこの町は、トレジャーハンターや取引に熱を出すゴブリン族で賑わっている。時折、顔見知りのゴブリン族に挨拶をされ、それに返しながら『崖っぷち亭』に足を運んだ。
 以前、シャーレアンにおける非人道的な人体実験の件で共に行動していたララーから、彼らがここにいると聞いていたからだ。勿論、今日いるという保証はどこにもない。けれど、どこか危なげな彼のことが心配だったわたしは、漸く出来た機会を利用して会いに来た。
 店内に入ると、夜ならではの賑わいが音と空気となって伝わってくる。仕事終わりのトレジャーハンター達が、お酒の入った木のコップ片手に新しい宝物や武勇伝を語る声。楽しげな雰囲気。店主のアドキラーを始めとした、スタッフ達が忙しなく働く様子。この時間だからこその活気の中、店の隅で難しい顔をして資料を眺めながらお酒を飲んでいる一人のヴィエラ族の姿があった。見つけた、と思い声を掛ける。
「ロイファくん、久しぶり」
 わたしの声に彼はハッとして顔を上げる。声を掛けたのがわたしだと分かると、表情を戻した。
「お前か……珍しいな、ここに来るなんて」
「ちょっと近くでおつかいの用があったので。あなたこそ、一人なのは珍しいんじゃない?」
 傍にいるはずの、命を掛けて救った仲間がいない。ララーの話でも、三人一緒と聞いたのだけど……疑問に思いながら、さり気なく理由を尋ねる。ロイファくんは余計に複雑な表情をして、手伝いに行っているから……と答えた。
「手伝い?」
「ああ、ここで知り合ったトレジャーハンターの仕事をな。エオルゼアで生きていくには金がいる、研究するにしてもだ。そこは俺達がなんとかするからと、二人は出掛けている」
 一人でこの賑やかさの中にいることや、わたしに尋ねられたことが不快なようで、彼は眉間に深く皺を刻んでいた。
「そうなんだ。じゃあ、少しだけご一緒していい?」
「は? なんでお前が」
「あなたのことが気になるから……」
 心配だから、なんて言ったらますます機嫌を損ねそうなので、気になるから、に留めておいた。ロイファくんはデメリットもないし構わないと判断したようで、好きにすればいいと返す。わたしはお礼を言い、彼の隣に座った。忙しそうにしているスタッフに声を掛け、飲み物を注文する。わたしはアルコールには強くないので、イシュガルドティーにした。
「さっきはすごく難しそうな顔してたけど、研究で何か問題でもあるの?」
 再び資料に目を向けたロイファくんに質問する。彼は言いにくそうに、ちょっとな……とだけ答えた。
「そっか……行き詰まった時は、全く関係のないことをするといいアイディアが浮かぶって、とあるシャーレアンの賢人から聞いたことがあるよ」
「関係のないこと?」
 ふとこちらに目を向けて、彼は聞き返す。興味を持ってくれたことが嬉しくて、にこりと微笑んだ。
「うん。研究してて、なんかだめって時は好きなことをしたり、体を動かしたりするんだって。そうすると、ぽんってアイディアが浮かぶことがあるとか……」
 暁の賢人である、グ・ラハが話していたことを思い出しながら説明する。ロイファくんは、ふーんと短く声を出した。
「そうしたら、明日は久しぶりに町の外に出てみるか……散策がてら、魔物を討伐して体を動かすのも悪くないな」
「じゃあわたしもついていくね」
「どうしてだよ」
 受け売りだが、自分の提案を元に翌日の予定を決めてくれたことに満足感を覚えたわたしは、調子に乗って同行を申し出る。すぐさまロイファくんはツッコミを入れ、疑惑の眼差しを向けた。
「単独行動はあまり良くないし、あなたはエオルゼアに慣れてないから……」
「お前もいつも一人だろう」
「そうだけど……なんだか心配というか……」
 思わず、彼のことが『心配』だと口にしてしまう。ロイファくんは鋭い目付きでわたしを見た。
「は!? どういうことだよ!」
 声を荒げて怒りの感情をぶつけて来る。賑わっていた店内でもその声は響いてしまったようで、他のお客さん達がわたし達を見つめた。
「お、落ち着いて! あなたのことを馬鹿にしているわけじゃないから……ただ、人生の先輩として後輩のことを思っているだけで」
「僕にとっては馬鹿にされているようなものだ。見た目から年下だと判断しているようだが、多少なりともお前より上だし、ヴィエラ族の雄として、一人前になれるよう師の元で修業を積んだ経験もある。何も知らない子どもじゃないんだ!」
 彼は怒りから立ち上がり、強めの声で言葉を並べた。周囲のお客さん達は、なんだなんだと興味を持ったり、ロイファくんのことを知っている人は、またあの新人か?と呆れた顔をしている。彼の怒りを収めなければ、体の問題的にも、お店の空気的にもまずい、と思い、謝ってから感情を抑えるよう伝えた。
「あまり気持ちが昂ると、体に良くないんでしょう? 抑えて、抑えて……!」
「うるさい! 僕はっ……僕は子どもなんかじゃ……な、い……」
 反発しながらも、彼はフラつく。感情が昂り過ぎて、実験の副作用が出てしまったのではないかと不安になった。
「ロイファくん!?」
 彼はそのままわたしの方に倒れる。なんとか抱えて顔を覗き込むと、青白い顔をして意識を失っていた。
「あまり強くないんだから飲み過ぎるなって言ってるんだけどな」
 戸惑うわたしに、上方から声が降ってくる。見上げればそこには、御馴染みの豚の被り物をしたアドキラーさんがいた。被り物のせいで表情は分からないけれど、呆れている様子だった。
 どうやらロイファくんは、元々お酒に強くないのに飲み過ぎていた上に、感情が昂ったせいで酔いが回って倒れたようだ。年上だとか、子どもじゃないとか言っていたけれど、やっぱり心配なのは変わらない。
「奥に住み込みで働く従業員のための寝室がある。今は誰も使ってないから、そこで休ませてやってくれ」
「分かったわ、ありがとう」
 アドキラーさんに手伝ってもらいながら、なんとかロイファくんをおんぶする。移動しようとするわたしに、彼は見守る親のような声で言った。
「内容までは知らないが、毎日研究に勤しんでるし、仲間のこともすごく気遣ってるんだ。だが、全部自分で背負おうとするところや頑張り過ぎるところがあるみたいでな……他人に甘えることにも慣れてないみたいだし、貴様が支えてやってくれないか」
「うん……出来る限り、力になってあげたいと思う」
「よろしく頼むぞ」
 頷いて、指定された部屋へ向かう。仲間を気遣う優しい心を持ちつつも、独りよがりになってしまう儚い彼を、守ってあげたいと思った。
 ―――暫くして、ベッドサイドのスツールに腰掛けて思わず寝落ちしそうになった瞬間、ロイファくんは目を覚ました。
「んっ……僕、は……」
「おはよう、と言ってもまだ深夜だけど……気分はどう? 大丈夫?」
 サイドテーブルの水差しからコップへ水を注ぎ、どうぞ、と手渡す。ロイファくんは記憶がまとまらない様子で起き上がり、冷えた水の入ったコップを受け取った。体内を潤す為に一口飲む。すると、直前までの記憶を思い出したようで、ばっとわたしを見つめた。
「僕は……お前に、とんでもない醜態を……!」
「気にしないで。迷惑だとか思ってないから……」
「そう、か……いや、だが、ここまで僕を運んでくれたのだろう……? すまなかった」
 恥ずかしそうにロイファくんは謝る。少しだけ、心を近付けてくれたのかな、と感じた。
「わたしこそ、気に障るようなことを言ってごめんなさい。ただ、あなたを仲間として支えたい……出来る限り力になりたいの」
 この気持ちが伝わってくれたらいいなと思いながら、彼を真っ直ぐに見つめる。頬の朱を深くして、水を二口飲むと、なら……と言葉を紡ぎ始めた。
「あ……甘えても、いいか?」
「えっ……あ、うん」
 改めて言葉にして求められるとなんだか胸がドキドキする。まるで恋みたいじゃないか……いや、わたしはロイファくんにそういう感情は抱いてないはず……脳内で自問自答していれば、サイドテーブルにコップを置いた彼が、ぎゅっと抱き付いてきた。
「ん……」
 座高のせいで、ちょうど彼の顔が胸に乗っかる形になる。服の上から軽く頬擦りされて、鼓動が早くなった。いやいやいやいや、わたしはあくまで『仲間』として大切に思っているだけで、そんな……でもこの『高鳴り』は、恋愛のそれに似ている。気付かない内にわたし、もしかして……考えはぐるぐると巡る。蚊帳の外にしてしまったロイファくんがちらりとこちらを見上げて、なぁ、と声を発した。
「へっ……? なに……?」
 突然のことに声が上擦ってしまう。彼はくすりと笑った。
「お前とこうしていると、胸の奥が温かくなるんだ……安心するって気持ちの他に、その……愛おしい……って気持ちもあって……」
「いとお、しい?」
「ああ……ヒナナ」
 普段、『お前』としか呼ばない彼に名前を口にされてドキッとする。頬が熱くなって、茹蛸になりそうだった。
「……キス、していいか?」
「っ……うん」
 戸惑いを覚えながらも、彼の要求を断れなくて頷く。ロイファくんは体を近付けてより密着し、唇を重ねてきた。柔らかな一瞬の触れ合いは何度か続き、わたしの中のときめきは大きくなる。小さく口を開いて、潤んだ瞳で見つめれば、彼は優しく舌を差し込んできた。数少ないヴィエラ族の雄として色々教えられたからだろうか、口付けは蕩けるようで、恋を認めさせる力を持っている気がした。
「ロイファ、くん……」
「お前のことが、好きだ……支えたいと思っているのなら、仲間ではなく、恋人として僕を支えてくれ」
 甘えるように微笑んで、包み込むような声色で愛の言葉を並べる。砂糖菓子のように糖度が高く、柔らかな告白を浴びせられ、わたしは自分の中の気付かないでいた思いを認めざるを得なくなった。
「うん……わたしも、あなたのことが好きみたい……恋人として、力を貸すわ」
「よろしくな、ヒナナ」
 そう言って、ロイファくんは再度唇を重ねる。バブルチョコのような口付けは、わたしを二人きりの特別な時間へ落ちさせていった。



『ココロツナイデ』(ユル光)

 今後のガレマルド復興における、都市計画の参考にするために、という名目で、ユルスがグリダニアにやって来た。あの一件で仲良くなったらしいエネマランやシカルドは、なんで俺達の国じゃないんだと文句を言っていたが、各国には順番に訪れる計画らしく、第一弾がグリダニアというだけのようだった。ガレアンではない者を拒絶し、訪れるか分からない希望を待っていた彼が、そのガレアンではない者の中に友を見つけてくれたことに喜びを覚える。案内役をカヌ・エ様より承り、ユルスを連れてベントブランチ牧場へ向かった。
「まさか、お前が案内役だとは思わなかった」
 緑生い茂る黒衣森の道を歩きながら、彼は言った。つい最近まで敵であり、同じガレマール帝国に生きていた人の命を奪ったことがある、『蛮族の英雄』であるわたしが視察の案内などあまり望ましいことではないのかもしれない。申し訳ないと思っていることを伝えると、ユルスは首を横に振った。
「いや、残念だとか悪く思っているわけじゃない。確かにお前は俺達にとって最大の敵だったが、俺達の命を救ってくれた恩人でもある。世界を……星を救った英雄であるお前が、視察の案内役として現れるなんて想像もしてなかったから驚いたんだ」
「わたしはアーテリスに住むみんなの為に仲間と一緒に戦ったけれど、今はもうあなたが言うような大物じゃない。ただの冒険者よ。近所の魔物討伐もするし、誰かのための道案内もするわ」
 彼が難しい顔をしていたのは、星の為に戦った英雄に視察の案内なんて小さな仕事を任せるのは如何なものか、という理由のようだった。本当に根っから真面目な人なんだなと思う。軍人らしいというか、なんというか……今まで自分の傍に居た、サンクレッドやウリエンジェ、ラハやエスティニアンとは全然違うタイプだ。
「そうか……お前が与えられた仕事に対して納得しているのならいい。エオルゼアは、大物英雄さえも雑用係にするのかと勝手に衝撃を受けていた」
「英雄ってみんな言うけれど、一番初めからそうだったわけじゃない。あなたの言う雑用を生業にして冒険者として生きて、いつのまにか星を救うことになっていただけよ。すごく特別なわけじゃない……みんなと同じよ」
 これまでの自分の道筋に対して、感謝の誠意と誇りを持って話すと、ユルスは苦笑した。
「お前達は本当に眩しいな」
「え?」
「保護された後で知り合った、エマネランやシカルドもそうだった。それぞれ辛いこと、苦しいことを抱えながら生きているのに、実直で瞳が輝いている。険しい顔なんてしない。ガレマルドには、辛いのに笑っているやつなんていなかったから、不思議に思ったしすごいと感じた」
「そっか……でも、その違いを否定しなかったユルスも偉いよ。手を取ってくれたこともそうだけど……ガレマルドに住む人みんなが、エオルゼアの支援を素直に受け入れてくれることはないだろうって思ってたから……」
 あの寒冷地での出来事を振り返って言葉を紡ぐ。切なくなって視線を逸らすと、彼はちょっと上擦った声で答えた。
「お、俺は別に偉くはない。それに、初めはお前達を拒否していたしな……」
 どうやら、偉いと言われたことが彼としては恥ずかしかったようで、ちらっと顔を見たら耳が少し赤かった。
「ほら、集落が見えてきたぞ。あれが目的地なのだろう?」
 話題を変えるように前方を指差して彼は言う。その先には、いつ訪れても穏やかな空気が流れるベントブランチ牧場があった。
「うん、そうよ。あそこがベントブランチ牧場。チョコボの飼育をしている場所。そっちにチョコボはいないから見て欲しいし、生き物を育てることが、復興計画の参考になればといいなと思って」
「あのような惨状になる前は、ガレマルドでも家畜の飼育はしていた。エオルゼア流のやり方を今後の参考にさせてもらう」
 ユルスの表情が、真面目なものになる。わたしは笑顔で頷いて、一緒に牧場へ足を踏み入れた。
 愛らしいチョコボ達が人々とともに生きるベントブランチ牧場で、わたし達は飼育に関する解説や生き物に対する愛情の大切さなどの講習を受けた。帝国式の中で生きてきたユルスには初めて知ることも多かったようで、手帳にさらさらとメモを取る姿も見受けられた。ちらりと見えた筆跡は穏やかなもので、彼の優しさを表していると思った。
 講習のあとは餌やりをし、二人乗り用のチョコボに乗っての散策を勧められた。何故か羞恥を見せるユルスを不思議に思いながら、折角来たんだからとその提案を受け入れる。普通よりちょっと大きい体格のチョコボに跨り、牧場周辺の散歩を始めた。道筋はチョコボ自身が覚えているらしく、こちらから指示がなくても迷いなく歩いてくれる。ユルスが前に、わたしがその後ろにという状態で騎乗し、軽く彼に後ろから抱き付いた。もちろん、変な意味はなく、チョコボから落ちないために。けれども彼はどこかそわそわしていて、何度か深い溜め息を吐いた。
「どうしたの? 気分が優れない?」
「……いや、そうじゃない」
「ほんとに? 無理してない?」
 真面目過ぎる故に、体調が悪くても我慢してしまうタイプなのではないかと不安になる。顔色を窺おうとより体を寄せると、ユルスは驚いたような声を上げた。
「やっ、やめろ……! 胸を押し付けるな……!」
「へ……!?」
 一瞬にして、彼の頬は赤くなる。わたしはそれと現在の体勢を脳内で反芻し、ユルスが落ち着かない理由を察した。
「ご、ごご、ごめんなさい……!」
 チョコボから落ちない程度に体を離し、謝罪する。
 わたしは他の女性よりどちらかと言うと胸が大きい方で、その豊満な部分が彼の背に押し当てられていた。そんなことをされたら、意識していなくても、そういう意識を持ってしまうのだろう。邪な気持ちを抱かないように、彼はそわそわしていたのだ。
「……お前は悪くない。変な風に考えてしまった俺のせいだ。気にするな」
 そう言ってユルスは、気持ちを切り替えるために息を吐く。気にするなと言われるほど気にしてしまう……と思ったが、これ以上何か言ったら彼の気分を害してしまいかねなかったので、口を噤んだ。
 チョコボはわたし達のやり取りを気に留めず、緩やかに歩を進める。それ以降、互いに口数は少なくなってしまったが、エオルゼアでしか見られない風景、感じられない空気に、ユルスは何かを得たようだった。
 ベントブランチ牧場での視察を終えたわたし達は、グリダニアへ戻る。実のある視察になっただろうかと思い、感想を尋ねると、彼は優しい表情で答えた。
「エオルゼアは未知の場所で、お前達はガレアンとは違い、野蛮な生き物だと思っていた。しかし、実際のところここは穏やかな場所で、人同士の絆が感じられた……かの日のガレマルドも、国民同士の絆というものはあった。しかし、それとエオルゼアの絆は違う。今後の俺達に必要なのは、お前達が持つ絆なのだと感じた日だった」
「そっか……」
「敵であった俺に対し、丁寧に自分達の知識を伝え、体験させたのが良い例だ。エオルゼアに住む人々は、お前のように分け隔てなく接する者が多いのだと改めて思ったよ」
 このエオルゼアに住むすべての人が、誰に対しても分け隔てなく接するわけじゃない。けれども、ユルスの言う通り、『自分と異なる者』に壁を作っていたガレマルドの人々に必要なのはこういった温かさなのだろう。固い氷の壁を溶かす、優しい炎の絆。その必要性をユルスが感じ、活かさなければと思えたことは、復興の小さな一歩なのではないか。
 わたしは紡がれた小さな絆の糸を嬉しく思い、収穫があって良かったと返した。
「きっとこれから、良い国が築かれていくわ。あなたやマキシマさん、ルキアさんがいるんだもの……大丈夫。生まれ変わったガレマルドを、今度はあなたが案内してね」
「あっ……ああ、もちろんだ」
 にっこりと微笑んで話すと、ユルスは一瞬驚きと恥ずかしさが入り混じった顔をして頷く。それを不思議に思ったが、さっきのあれこれがあったので追及することはやめた。
 優しい雪の降る新しい国で、彼らが築いた絆の結晶を見る日を楽しみにしつつ、わたしは改めて、冒険者として自由に、自分らしく生きていこうと心に決めた。



『その心に愛の呪いを』(ファダ光)

 毒のせいで意識が朦朧としているヒナナを少し呆れた様子で見つめて、ファダニエルは溜め息を吐いた。
「相変わらず無理をする人ですね、あなたは」
 地面に仰向けになり、浅い呼吸を繰り返す彼女に視線を向けたまま、仕方なさそうに呪文を唱える。それは、治癒魔法の呪文だった。


 人々の心の荒れを感じ取って、魔物達が暴れているのでなんとかして欲しい―――という依頼を受けたヒナナは、東部森林のバエサルの長城近くに来ていた。近辺には不穏な空気が漂う。終末の災厄を退けたものの、世界にはまだその残滓や後遺症が残っている。今回の件もその一つと言えるだろう。
 天の果てで、希望の唄が届くことを願ってくれたメーティオンの優しい笑顔を思い出し、ここに生きる自分達が『希望』を紡がなければとヒナナは思った。その為に困っている人々を助け続けるんだ――彼女は決意を胸に、不穏な空気の中心へ近付いた。
 そこには通常サイズと巨大サイズのオチューの群れがおり、縄張りに侵入してきたヒナナを威嚇した。彼女は距離を取り、背の大剣を抜く。相手の出方を伺いつつ、少しだけ前に出た。オチュー達は叫び声を上げ、敵意を示す。これ以上近付いたら攻撃する、という合図だろう。だがそれは意味を成すことなどなかった。
 ヒナナは気持ちを固め、地を蹴り、敵に攻撃を仕掛ける。これまでたくさんの猛者と戦い、勝利してきた彼女とただの魔物であるオチューでは、力の差は歴然だった。しかし、相手が群れであるということ、ここが彼らのホームであり、彼女自身、様々な依頼をこなして疲労していたこともあり、一匹のオチューの毒攻撃を受けてしまった。
「くっ」
 短く叫ぶ。吸い込んでしまった毒性の霧は、彼女の力を奪っていった。
 まずい、とヒナナは感じる。冒険者としてある程度長い期間活動していた彼女は、この毒のことを知っている。攻撃を受けてしまったのは自分の落ち度だ。不運なことに解毒薬も持ち合わせていなかった。早く敵を倒し、近くの集落で解毒薬を手に入れなければ。
 焦った彼女は、一撃を加えようと剣を構え直して走り出そうとするが、それは叶わなかった。体はふらつき、仰向けに転倒してしまう。
「あっ……」
 剣は手から離れ、体に鈍い痛みが走る。視界には青い空と木々の葉が映り、オチューの威嚇する声が耳に響いた。
 このままでは殺されてしまう―――死を察したヒナナは恐怖を覚えた。
「い、いやっ……!!」
 か細い悲鳴が上がる。直後、何匹もいたオチューは呻き声を発してバタバタと倒れ、彼女の傍に黒いローブの男が舞い降りた。まるで、漆黒の翼を持った堕天使のように。
 男はヒナナを見下ろして溜め息を吐く。
「相変わらず無理をする人ですね、あなたは」
 そう言って治癒魔法の呪文を唱えた。白く温かな光がヒナナを包み、毒を癒していく。そんな効果までないのに、胸の内がぽかぽかしている気がした。
 痛みと苦しみが消えた体で、彼女は起き上がる。その視界に映ったのは、見覚えのあるローブだった。
「ファダ、ニエル……?」
 脳裏に浮かんだ名前をつぶやく。目の前の男は振り返り、視線を合わせる為に跪いた。
「ご名答。まあ、魂のエーテルが絞り出した残留思念みたいなものですけどね」
 黒曜石のような美しい瞳でヒナナを見つめ、そっと頬に触れる。その冷たさは、彼の体が死していることを伝えてくれた。
「なんで、助けてくれたの?」
 ファダニエルは……アモンはヘルメスの心残りを抱えたまま、星海の闇に沈んだはずだ。なのにどうして、『あの身体』でここに具現化されているのか。ヒナナは当然の疑問を持った。
「星海の奥底で、魂が溶けていくのを待ちながら、希望を示してくれたあなたをずっと見ていました。憎らしいほどに真っ直ぐなあなたを……そうしたら、死にかけるものだから……まだこちらに来るのは早いと思って、手を貸してあげたんですよ」
 弄ぶように頬や鼻、髪や耳を撫でて事の次第をファダニエルは説明する。戦う余力さえ残されていなかった魂の彼にそんなこと出来るのだろうかとさらに疑問を抱いたが、実際問題出来ているのだから何か奇跡的な力が作用しているのだろう。
「ありがとう……本当に死んでしまうところだったわ。でもあの、顔や髪を触りまくるのはちょっとやめて、恥ずかしい……」
 小綺麗な顔とは裏腹に、帝国軍兵士だったその肉体が持つ指は無骨で、男の手だった。逞しさのある手で触れられたら、意識してなくてもドキドキしてしまう。男に慣れていない、恋愛に関しては箱入り娘のままのヒナナは胸が熱かった。
 ほんのり頬を赤くしている彼女に対して、ファダニエルは意地悪な笑みを浮かべる。ぐっと顔を近付けて、ちゅっ、と鼻に口付けた。
「きゃっ……」
「もしかしてあなた、私の事が好きだったりします?」
「そんなことはっ……」
「でも、ほっぺが赤いですよ……美味しそうな林檎みたいですね」
 戸惑うヒナナの頬に舌を這わせ、甘く反応する彼女を楽しむ。どこか艶っぽい声を出してしまう彼女を抱き締めて、濡れた瞳を見下ろした。
「いやらしい反応をして……好きなんでしょう?」
「わ、わからない……わかんないけど、胸の奥がドキドキして熱いの……」
 恋愛をまともにしたことがないヒナナは困った様子で答える。それこそ恋の始まりの兆候なのだが。理解しているファダニエルは、くすりと笑った。
「それは好きになった証拠です。あなたは私に恋をしているんです」
「そう、なの……?」
「ええ」
 知識のないヒナナは、疑問符を浮かべる。ファダニエルは促すように頷いて、彼女の唇を指で撫でた。
 自分より恋愛について知っているらしい彼がそう言うのなら、恐らく言葉の通りなのだろう。そう思った彼女は、より羞恥を表情に出して呟いた。
「わたしは……ファダニエルのことが、好き……」
「ふふっ、けれどあなたも可哀そうな人ですね……死者に恋をするなんて……また今度会えるか分かりませんよ?」
「でも、約束したじゃない。次は一緒に探しに行くって。だから会えるわ。あなたと同じ魂を持った人に」
 ふわりと微笑んで、あの時の約束を再び告げる。ファダニエルは目を見開き、すぐにフッと笑った。それは、呆れを含んだ笑いだった。
「あなたは嫌なほど前向きですね……苛々する……苛々するけれど、紡がれる希望に縋ってやりますよ。私に新しい答えを見せてください」
「うん、あなたが答えを掴めるように頑張るわ」
 真っ直ぐに返すヒナナは、まるで天に輝く一等星のようだとファダニエルは思った。自分にはない光を持ち、強く、けれども優しく包み込んでくれる。それは冷え切った氷しかなかった彼の心に希望の炎を灯し、彼女の手が届く範囲にまた生まれたいと思わせた。この女となら、希望を探すという無意味かもしれない旅をしてもいいと。意味がないと感じていた『生』を再度求めるなど、昔の自分が知ったら吐き気を催すのではないだろうか。それほどまでに彼女はファダニエル……アモンという人物の心を変化させてしまった。その責任として、彼女の心も奪うのは、妥当なものだろう。
 ファダニエルは仄暗さを秘めた笑みを口元に浮かべ、ヒナナの柔らかな唇をぷにっと何度か押した。
「んっ……?」
 不思議そうにする彼女に対し、恋人に甘える時にする表情をしてみせる。
「またこうしてあなたの前に姿を見せられるかは分かりません。だから……キス、しませんか?」
「へつ……!? き、キス……?」
 恋愛初心者のヒナナにとって、それは物語の中でしか知らない行為だ。好きな人としてみたいけれども、望むことははしたないのではないかと考えた彼女は、回答に困った。
「えっと……あの、その……」
「キスしましょう……? あなたのことをもっと感じたい……覚えておきたい……」
 つぶらな瞳でヒナナを見下ろし、抱き締めている手で彼女の腰を撫でる。女の誘い方を知っている触り方に、彼女の初心な心は熱を持った。ここが先程まで戦場であり、近くに魔物の死骸が転がっていることを忘れるくらいに。
「あっ……うん……いい、よ……」
「可愛い……愛していますよ、ヒナナ」
 ファダニエルは彼女の名前を口にして、唇を重ねる。瑞々しい彼女のそれを食み、一度距離を取る。
「舌を出してください」
「んっ……」
「ああ、良い子ですね。ご褒美をあげます」
 素直に命令通りにするヒナナに優越感を抱きながら、ファダニエルは舌を絡めて深い口付けをする。弄んで、上顎を舐め、彼女の口端から唾液が溢れるくらい、濃厚な交わりを与えた。人生二回目の口付けで強い刺激を与えられたヒナナは、浅くなった呼吸を整えながら、蕩けた目で相手を見つめる。その先にいるファダニエルは満足気に微笑んだ。
 ヒナナを唇一つで支配したことに対してではない。体液を与えることで、己のエーテルを彼女に取り込ませ、魂が完全に溶けるまでそれを利用してこちらに姿を現すことが出来るからだ。また会えるか分からない、という先程の言葉は、彼女とこうするための布石に過ぎない。何度か会うことで、その心を完全に奪うことは出来るだろう。そうすれば、己の魂が再び生を得た時、彼女に会いやすいはずだ。
 作戦を一から振り返り、我ながら完璧な道筋だと思っていると、ヒナナがぎゅっと抱き付いた。
「おや? どうしたんですか?」
「あの……もっと、ファダニエルのこと、感じたいの」
 熱に犯された彼女の表情から、自分に何を求めているのか瞬時に察した。清らかな彼女を死骸がある場所で穢していくのも一興だと思ったが、本人の負担を考えて変えることにする。
「ふふっ、分かりました。どこか、静かに二人きりになれる場所ってあります?」
「それなら、ラベンダーベッドのわたしの家……テレポするから、離れないでね」
「ええ。離しませんよ……ずぅっと」
 そう言って彼はヒナナをより抱き寄せた。彼らを隔てるものは衣服しかないのに、ファダニエルの体からは体温が感じられない。それを悲しく思いながらも、ヒナナはテレポの呪文を唱えた。
 彼女が時々拠点として使っている小さな家で、二人がどうしたかは察する通りだ。エーテルという繋がりを得たファダニエルは、その後よくヒナナの前に姿を現し、彼女の心に自分という根を張り巡らせていった。まるで、彼の魂が答えを見つけるまでの呪いのように。



『嫉妬の猫』(ラハ光)

 バルデシオン委員会に届いていたある依頼の調査を終え、ラザハンから帰ってきたオレは、オジカの『ヒナナがオールドシャーレアンに来ている』という報告に耳と尻尾が立った。持ち帰った資料を受付の台に置き、今どこにいるのか尋ねる。彼はにこにこと微笑み、ヌーメノン大書院に行くって言っていたよ~と答えた。居場所を聞くやいなや、すぐに目的地に向かって飛び出す。穏やかな声で見送る彼に荷物を託し、ヌーメノン大書院に向かった。
 星に来たる災厄を退け、彼女が以前と同じく活動出来るまで回復してから、一度も会ってないわけじゃない。彼女に舞い込んできた依頼を一緒にこなしたり、恋人らしくデートもした。しかし、それまでずっと傍にいた人が手の届く範囲にいないというのは寂しいもので、オレは恋人不足の日々を送っていた。だから近くに来ていると聞いて、自分に与えられていた仕事を途中放棄してまで駆けだした。あとでクルルに叱られそうだが、それは致し方無い。素直に怒られたいと思う。
 ヌーメノン大書院の近くまで来たオレは、ふと、屋外の読書スペースを見た。以前、オレとアリゼーがうたた寝をしてしまった場所だ。
 視線を向ければ、そこには探していた人――ヒナナがレポリットを抱きかかえて、気持ち良さそうに眠っていた。足元に本が落ちていることから、一人と一匹で読書をし、いつのまにか夢の世界へ誘われてしまったと見受けられる。恋人不足で少し欲求不満だったオレは、抱き締められているレポリットが羨ましいと思った。本当にどうしようもない嫉妬なのだけれども。
 眠っているヒナナ達に近付き、落ちている本を拾う。表紙には大きなプリンのイラストと『おいしいプリンの歴史』という題名が書かれていた。レポリット達は見た目が似ているため、よく見るか話をしないと誰が誰だか分からない。どうやらヒナナに抱き締められているのはプディングウェイらしく、一緒にプリンについて学んでいたようだ。
 拾った本をベンチに置き、彼女の肩を揺する。午睡中に起こすのは悪いという気持ちもあったが、久しぶりに会った恋人と言葉を交わしたい、触れ合いたいという思いが勝った。
「ヒナナ、外で寝てると冷えるぞ」
「ん……んぅ……」
 彼女はゆっくりと目を覚ます。オレを視界に捉え、どうしてここにいるのかと驚いた。その声でプディングウェイも起きる。終末の騒動の際に何度か会ったことのあるオレを覚えていたようで、目をぱちくりさせた。
「グ・ラハさん!?」
「覚えててくれてありがとな。ちょうど任務が終わってバルデシオン分館に戻ったら、ヒナナが来てるって聞いたから……会いに来たんだ」
 溢れ出そうな感情を抑え、平常心を保ちながら話す。ヒナナは苦笑し、離れてたのは二週間くらいなのに……とつぶやいた。
「あ、あんたは我慢出来たかもしれないけど、オレは……! 傍に居ることが当たり前だったあんたが視界にいなくて……そのっ……さ、さみ、寂しくて、だな……!」
 『寂しい』という感情を言葉にすることが恥ずかしくて、声が上擦った。頬と耳が熱くなる。きっと、尻尾はばたばたと動いているのだろう。こっちで目覚めてから、感情を封じることが下手になった。第一世界で水晶公として振る舞っていた時は、嬉しい気持ちも悲しい気持ちも、あまり見せないように出来ていたのに……。
 体で想いを露わにするオレに対し、ヒナナは申し訳ないとでもいうような顔をして謝った。
「そっか……ごめんなさい、感じ方は人それぞれだもんね。もう少し長く、あなたの隣にいるようにするわ」
「いや、あんたのせいじゃない。子どもっぽい考えをしてしまうオレが良くないんだ。現に……プディングウェイが抱き締められてて羨ましいって思ってるし……」
 オレの言葉にヒナナは驚き、プディングウェイは困惑した表情で彼女の腕から飛び出す。長い耳を萎れさせ、ごめんなさい……と弱々しく謝罪した。
「グ・ラハさんの大切なヒナナさんを奪ってしまって……大好きなものを取られたら、心がぎゅぅってなりますもんね……苦しかったですよね……」
 彼はぽろぽろと涙を流し始める。ヒナナ以上に純情過ぎるプディングウェイに戸惑い、ひとまず涙を流さぬよう宥める。耳は若干下向きのままだったが、泣き止んでくれた彼の頭を撫でた。
「責めるようなこと言って悪かった。お前が責任を感じることはないから……な?」
「はい……」
 一連のやり取りを見ていたヒナナは小さく笑い、あなたはどうしたい?と問うてきた。
「ラハがして欲しいことを言って。寂しがり屋のあなたのために、出来る限り頑張るから」
「なっ……えっと……あんたと一緒にいたい……ふ、二人きりで……」
 どうして欲しいか、を答えるだけなのに、何故か恥ずかしくて心臓がばくばくと鳴った。ヒナナはオレの答えに頷いて、離れてしまったプディングウェイを抱き上げる。
「途中で寝ちゃって、中途半端でごめんなさい。続きは一人で読んでもらえるかしら?」
 済まなそうに告げるヒナナに対し、彼は首を横に振った。
「いえ、一緒にプリンに関する本を探してくださっただけで嬉しかったし、助かりました! 恋人とのお時間を、大切に過ごして下さい」
「ありがとう、プディングウェイ」
 ヒナナは彼を下ろし、オレがベンチに置いた本を手渡す。それをプディングウェイは大切そうに抱え、一礼して去っていった。
 大書院の方へ向かった彼を見送り、ヒナナはオレを見る。恥じらうように頬を赤く染め、もじもじと体を動かした。
「ラハ……どこで、一緒に過ごす?」
 上目遣いで自分を見つめる彼女は愛らしく、先程の『恥ずかしい』とは別の意味で胸が高鳴る。
 彼女の手を握って引き寄せて、耳元で囁いた。
「ラベンダーベッドのあんたの家……誰にも邪魔されないところで、あんたのこと、愛したい」
「ぁっ……うん」
 『愛したい』の意味がどういうことか知っているヒナナは、ますます羞恥を顔に見せる。オレの手をぎゅっと握って、優しくしてねと言った。


 窓の外には、満点の星空が輝く。ラベンダーベッドにあるヒナナの家に向かい、二人だけの甘い時間を過ごし、こうして一緒に空の輝きを見つめている。終末の災厄という大き過ぎる問題に挑んでいた時は、考えられなかった光景だ。今ここに命があることを感謝し、後ろから抱き締めてくれているヒナナの手を撫でた。
「ラハ……?」
「あんたの腕の中はあったかいな……落ち着く……」
「ふふふっ、本当に子どもみたいね」
 どこか嬉しそうに彼女は言う。何だか馬鹿にされているような気がしたオレは、大人げなく言い返した。
「そんな子どもにさっきまで喘がされてたのはあんただろ」
「ラハの意地悪!」
「あんたが子どもみたいって馬鹿にするようなこと言うから……」
「もう、わたしはそういうつもりで言ったんじゃないのに」
 不服そうな彼女は、ぎゅっとオレを抱き締める。柔らかで豊満な部分が、オレの背に押し当てられた。
「おいっ……」
「わたしは、あなたが自然体で感情を表現してくれて嬉しいの。アラグの皇血とか、水晶公としての責務とか、いろんなことにずっと縛られていたあなたが、心の底から伝えたい感情をぶつけてくれて……嫉妬してくれたのも嬉しかったのよ」
 ヒナナは優しく明るい声色で想いを語る。オレがオレであることを再び認めてもらえたと思い、喜びを感じた。胸の内に、温かなものが広がっていく。オレの愛した人がヒナナで良かったと強く思った。
「そうか……すげぇ幸せだよ、ありがと、ヒナナ」
 そう答えて、腕の中で振り返る。驚く彼女の唇を奪って、オレからもぎゅっと抱き締めた。