Vi et animo

ここから、はじめよう

 微妙な距離を取って長椅子に腰掛ける二人のミコッテを見て、アリゼーは眉をしかめた。そして同じテーブルで本を読んでいるヤ・シュトラに声を掛ける。
「ねぇ、なんでああなの?」
 彼女は優雅に本を閉じ、そっと彼らを見てからアリゼーに視線を移した。その顔には何かを楽しむような節が見られる。
「仕方ないわ。ヒナナにとって、彼は同じ人物であって違う人物。そこに恋心があれば、複雑になる……加えて相手の王子様はちょっとばかりへたれな人。これは本人達次第だから、私達は見守るしかないわね」
 ふふっ、と小さく笑って、ヤ・シュトラはタタルが淹れた紅茶を飲む。大人の意見を聞いて、確かにそれも分かるが……と思ったアリゼーは、ぼそっと言葉を吐いた。
「だけど、なんだか見ててこう、もどかしいのよね……! あっちの世界じゃ御伽噺のお姫様と王子様みたいに仲良かったのにって」
「なら、直接本人達に言えばいいじゃない。面白いことになりそうだわ」
「はぁ……!? そんなこと出来るわけないじゃない。口出ししたらヒナナ傷付きそうだし」
 ヤ・シュトラの意見にアリゼーはきぃっ!と反発する。相変わらず威勢のいい仲間を愉快そうに見つめて、それなら静かに成り行きを見守らないとね、と落ち着いた声で返した。
「んん……そうね……頑張れ、とだけ念じておくわ」

 グ・ラハ・ティアは悩んでいた。憧れの英雄であるヒナナと事態を解決し、自分の希望通りに『水晶公』としての記憶と魂をこちらの自分に足し算させ、彼女と同じ暁の血盟に加入し……これからは大好きなヒナナと昼夜ともに過ごすことが出来る、共に冒険に出られる……と期待を大きくしていたが、以前とは全く違う距離感を取られていた。どこかよそよそしく、避けられているような感覚……もしかして、こうなることは望まれていなかったのではないか、と不安になってしまう。こちらの世界で無事に『グ・ラハ・ティア』として目覚め、お互い無事であることを確認出来たら別行動した方が良かっただろうか。もしくはあちらの世界で『水晶公』として散るべきだったのだろうか。悩み、悩み、考えがぐるぐるする。知を巡らせることは苦手ではないし、探求することは好きだけれど、学問ではなく人間の心理となると話は別だ。好きな人が現状をどう思っているか、なんて、不安から生まれる憶測が混じって、上手く考えられない。どうしたらいいんだ、と心の中でぼやいていると、とてとてと可愛らしい足音が近付いてきた。

 「グ・ラハさん、お悩みのようでっすね」
 声の主は、暁の血盟の金庫番兼有能事務員のタタルだ。彼女は何か裏がありそうな、ちょっと怖いような可愛らしい笑みを浮かべてグ・ラハを見ている。このララフェル族の女性が、自身の先輩であるクルルと同じ属性の女性であることを他のメンバーの話から察していた彼は、緊張感を持って返事をした。
「まぁ……ちょっとな」
「それなら、とっておきの依頼が来てるでっす!」
「とっておきの?」
 予想していた台詞とは別の台詞が彼女から飛び出し、グ・ラハは聞き返す。うんうん、とタタルは頷き、びし!っとグ・ラハとヒナナを指差した。
「はい! お二人に、紅蓮祭開催のお手伝いをしてらいたいのでっす!」
「紅蓮祭って……ラノシアのコスタ・デル・ソルである夏の風物詩のあれか?」
 ノアのメンバーとして調査活動に当たっていた時、同じ調査員に聞いたことがある。海にあるリゾート地のコスタ・デル・ソルでは、毎年、冒険者ギルドの広報活動として謎の祭りが開催されている……という珍妙な話を。元は全く別の意味で開催されていたらしいが、今となってはその理由も消え去り、毎年、奇妙なアスレチックに挑戦させられる不思議な祭りとなっているらしい。その手伝いとはなんだ……? アスレチックの設営か? それとも難易度調整の為のチャレンジャー募集か? そう思いながら、グ・ラハはタタルの言葉を待つ。ヒナナも疑問に思ったようで、不思議そうに小さな事務員を見つめた。
「はい、コスタ・デル・ソルで行なわれる紅蓮祭……が、今年は開催の危機らしくって」
「開催の危機?」
「そうなのでっす。ビーチの近くで人食いサメがよく目撃されるようになったそうで、このままでは祭りを催せないと、実行委員会の皆さんからご相談を受けまっして」
 タタルは困惑した表情でグ・ラハとヒナナを見つめる。その瞳は困惑というよりも、お二人なら引き受けてくれまっすよね?という圧が見え隠れしていたが。
 ここでうじうじ悩んでいても仕方ない、と判断したグ・ラハは、依頼を引き受けることにした。ちらり、とヒナナを見やる。彼女はタタルの圧に苦笑いし、依頼に参加することを了承した。
「さっすがヒナナさんとグ・ラハさんでっす! ではでは、コスタ・デル・ソルへいってらっしゃいなのでっすー」
 そんなこんなで、微妙な状態であるヒナナとグ・ラハは、二人きりで任務に当たることになったのだった―――

 現地までの道中、二人に会話がなかったわけではない。見るもの触れるものが珍しいグ・ラハは、初めて旅行をした子どものように目を輝かせて景色や特産物、すれ違う魔物を見た。その度にヒナナの説明を受けて、彼女の博識さに感動する。博識さだけではない。相手に分かりやすいように言葉を選んで説明していて、教師に向いてるんじゃないかとさえ、グ・ラハに思わせた。
「あんたって何でも知ってるんだな、先生みたい」
「そうかな? 冒険者になりたての頃は、知らない事の方が多かったよ。旅をする中で他の人に教えてもらったりして、覚えていったんだ」
「その知識は、たくさんの経験の積み重ねと、出会った絆からなんだな。やっぱりすげぇ」
 素直な感動が胸に沸き上がる。恋人……のはずなのに微妙な距離感が取られてはいるが、ヒナナを敬愛する気持ちは止まらなかった。憧れを伴う瞳で見つめられ、ヒナナは恥ずかしそうに頬を染める。その反応を可愛らしいとグ・ラハは思ったが、避けられていると認知しているせいか、以前のように軽々しく『かわいい』と言えなかった。
「ほ、褒められても何も出ないよ……先に進もう」
 誤魔化すようにそう言って、ヒナナは歩を進める。言えない言葉を胸の奥で噛み締めて、何とかしなければとグ・ラハは思った。
 紅蓮祭が行われる会場につくと、実行委員長のヘールマガが出迎えてくれ、ビーチの現状を話してくれた。近頃頻繁に人食いサメ―ーーしかも二足歩行する特殊な種のものが近隣に現れ、恐怖と迷惑を感じている。ゲゲルジュが雇った対策部隊もいるので、一緒になんとかして欲しい、というのが彼の話だ。二足歩行の人食いサメって要素盛り込み過ぎだろとグ・ラハは思ったが、今までヒナナと第一世界で過ごしてきて、想像以上の経験というものをしているので気にすることをやめた。さらに、大富豪ゲゲルジュが雇った特殊部隊もなかなか濃いメンバーだったため、考えるだけ無駄だと彼に思わせた。
 かくして、グ・ラハの暁の血盟としての初めてのラノシアでの任務、が幕を開けた。二足歩行人食いサメに対し、どのような武器や攻略方法で挑むべきかわくわくしながら考えていた彼だったが……結果としてそれは無駄に終わった。対抗手段として用いられたのは、南方のララフェル族に伝わるフレイムダンスという踊りだったからだ。武器は使わないのかとグ・ラハは肩を落とした。またヒナナとともに戦えると期待していた部分もあったのもある。避けられていようと、距離を置かれていようと、『ヒナナ』という人はグ・ラハの憧れで、焦がれている愛しい人に変わりはない。美しくも鋭い彼女の槍裁きを見れないのは残念だが、魔物毎に適切な対抗手段というのがあるのだから仕方ないと納得した。
 ララフェル族の女性にフレイムダンスを習い、二人は陸に近付いてきた人食いサメ相手に人工ボムとフレイムダンスで対抗する。活性化する踊りを踊ればボムは力を増して攻撃し、癒しの踊りを踊れば自己修復をしてくれた。ボムの様子を見ながら戦っていたグ・ラハは、ふと、ヒナナを見た。何か意味があったわけではない。ただ、自然と彼女に視線を向けていた。大好きな、彼女に。
 ヒナナは柔らかく優雅に手や腰を動かし、フレイムダンスを踊っていた。世界には踊り子という『舞い』を武器にする職業があるらしいが、それに引けを取らないのではと贔屓目ながら思ってしまうほどの麗しいものだった。ただ優雅なだけではない。温かな心がこもった優しい踊りだった。思わず、見惚れてしまう。その一瞬の隙をついて、人食いサメは攻撃を放ってきた。水鉄砲がグ・ラハに向かって飛んでくる。
「ワワッ! 危ナイ!」
 対策部隊のコボルト族の言葉を聞いて、彼は我に帰った。
「なっ……!」
「ラハ……!」
 回避しようと体を動かすより前に、ヒナナが自分に飛び込んできた。そのまま少し突き飛ばされ、二人して砂浜に倒れ込む。攻撃を回避し、ヒナナに押し倒される形になったグ・ラハは、彼女との距離や体に触れる柔らかい物体にドキドキしてしまった。頬が熱い。
 ヒナナを見れば、彼女は目が合うとすぐに視線を逸らした。そのまま立ち上がり、まだ戦いは終わっていないから……と元の位置に戻っていく。グ・ラハも頷き、慌てて起き上がった。その瞬間彼は、ヒナナの頬が自分と同じように朱に染まっていたのを見て、嫌いになったわけじゃないんだと安堵した。
 対人食いサメの戦いは、グ・ラハ達人間側の勝利に終わった。ビーチには平穏が戻り、ヘールマガは二人に感謝する。折角だから明日からの祭りも楽しんでいってくれ、と言われ、コスタ・デル・ソルに一泊することとなった。

 チャンスは今しかないと思ったグ・ラハは、その夜、人目の少ない浜辺にヒナナを呼び出した。承諾してくれえるかどうか不安だったが、彼女はどこか覚悟を決めた様子で誘いに乗ってくれた。伝えなければ、自分の思いを。ずっと前から変わらない、真っ直ぐな気持ちを。グ・ラハはそう思って頬を軽く叩く。気合いを入れた少し後、ヒナナは姿を現した。
「おまたせ。大事な話ってなに?」
 以前とは違い、少し距離を取って彼女はグ・ラハの隣に腰を下ろす。月と星の光に照らされる恋人は、まるで御伽噺の儚い姫君のように美しかった。
 ああ、やっぱり俺はこの人が好きだ―――そう思って、ヒナナを見つめる。彼女は視線を逸らそうとしたが、深紅の瞳はそれを許さなかった。瞳の持ち主は深呼吸をし、胸に秘めた言の葉を紡ぐ。
「ヒナナ……俺、あんたとこうして同じ世界で生きることが出来て幸せだ。勿論、あっちの世界でクリスタリウムの仲間達とともに過ごした日々も楽しかったし、かけがえのない大切な思い出になってる。俺が俺でいられるのは、両方が心に存在するからだ」
 どちらかが要らないものだとは思ってない。ヒナナがいなければ、ヒナナという愛する人に巡り会うことが出来なかったし、第一世界がなければ、大切なことを教わることも、大切な人を救うことも出来なかった。欠けてはならない、グ・ラハ・ティアにとって大事なピースだ。
「出来ることなら、あんたと冒険する日々も、水晶公としてみんなを見守る日々も両方選びたかった。けれど、苦難を乗り越えて成長したクリスタリウムの皆を見て、俺が過保護にならなくても、道標があれば彼らは前へ進んでいけるって感じたんだ……水晶公という、希望の残光があれば」
 尖った見方をすれば、民を見捨てて自分の願いを選んだ、と蔑まれかねない。しかしグ・ラハは人々の様子を見て、自分が干渉しなくても彼らは強く生きていけると知ってしまった。百年の間に積み上げた『水晶公』という希望の灯火は、しっかりと人々を導く象徴に進化していたのだ。それがあれば大丈夫、あとはあなたの好きなように生きて欲しいと人々から背中を押されている気がしたグ・ラハは、自分の願いを選択した。
「だから、記憶と魂を原初世界の俺に継承する道を選んだ。俺は、英雄に憧れて未来で名前を探したグ・ラハ・ティアであり、第一世界であなたを救おうと奔走した水晶公であり、あんたとの冒険を強く願ったグ・ラハ・ティアなんだ……あんたが恋をした、水晶公も俺なんだよ、だから―――」
 グ・ラハはヒナナの肩を掴んだ。想いが溢れて泣き出しそうになっている顔で、彼女を見る。ヒナナの瞳は揺れていた。
「俺とまた、恋を始めてくれないか?」
 強くあろうとしたのに、震える声で彼は吐露する。カッコつかない自分が情けなくなったが仕方ない。これも、グ・ラハ・ティアの姿なのだから。
 ヒナナは何かを堪えるような顔をして、ぶんぶんと首を横に振った。
「ごめん……ごめんね、ラハにそこまで悩ませてしまって……わたしが、理解するのが遅いせいで」
「ヒナナ……」
 言葉を紡ぐ彼女も、泣き出しそうな……いや、ぽろぽろと涙を零していた。おおきな桃色の瞳から雫が落ちて、頬を濡らす。それをグ・ラハが指で拭うと、彼女は話を続けた。
「分かってたよ、ちゃんと、あなたが目を覚ました時から、この人はラハであり、水晶公なんだって。分かってたはずなのに、恋人って考えると今までみたいに出来なくて……きっと本当は、分かってなかったんだと思う。今までみたいにあなたに触れて、触れられて、幸せを感じたかったのに」
「あんたは悪くない。出来事を噛み砕いて理解するのって、人それぞれ掛かる時間が違うから」
「けど、わたしの方が遅いせいであなたを悩ませちゃった……ごめんね、けど、あなたにまた告白されて、わたしはこの人が……水晶公 - グ・ラハ・ティア - が好きだなって思えたの。真っ直ぐにわたしを見つめて、好きだと言ってくれるあなたが」
 ヒナナはそう言って、柔らかな笑みを浮かべる。それは誰をも包み込むような母性を持ち、見る人を癒す笑顔だった。彼女の表情と言葉から、自分の思いが届いたと確信したグ・ラハも笑みを浮かべる。まだ少し涙に濡れた瞳でヒナナは彼を見つめた。
「改めて、よろしくね、ラハ。大好きだよ」
「ああ、こちらこそ……!」
 好き、と言葉を返してくれるヒナナを抱き締めて、その温もりを感じる。愛しい人はそっと抱き返して、桃色の尻尾と赤い尻尾は、愛を確かめるように絡まった。

 ここからまた、恋物語の続きを綴っていこう。
 大切なあなたと、二人でゆっくりと。