「水晶公×ヒカセン♀」
夜を取り戻した後も、あの人はとても忙しそうに各地を行き来していた。今日は第一世界、明日は原初世界、といった具合に。人の事を言えないが、ゆっくり休んで欲しいと思ってしまう。自分のことを棚に上げるようで直接は言えないが……。
そんな日々が続いていたある日、理由を付けて休ませようと考えた私は、以前彼女に好評だったサンドイッチと果実酒の瓶をバスケットに詰めて部屋に向かった。移住館の主人に軽く挨拶をし、あの人がいるかどうか確認する。主人は苦笑いを浮かべて、先程お疲れの様子で自室に戻っていきましたと答えた。やっぱり……無理して動いているのだな。咎めれば、自分のことも指摘されそうで心が痛くなった。差し入れを置いてお暇するよ、と主人に告げて、彼女の部屋に足を運ぶ。
ゆっくりと扉を開いて名前を呼ぶと、反応はなかった。寝ているのだろうか。ちらりとベッドの方を見れば、戻ってきてそのままベッドに倒れ込んだであろうあの人がいた。仰向けで気持ち良さそうに夢を見ている。気を失ったり体調が悪いわけではないことに安堵し、バスケットを机に置いた。
ベッドの傍に椅子を運び、腰掛ける。彼女の表情は穏やかで、可愛らしかった。好き、という気持ちが心の中に広がっていく。既に恋人同士の関係で、暁の面々も認知していることだが、私の中で恋情は日々更新されていた。百年もこの世界で生きている私らしくもない。まだ若い部分が残っているのだなと思いながら、頬に触れた。じんわりと温かさが伝わる。愛おしさが強くなる。そのまま流れるように唇に触れると、んっ……と小さく声を零して体を動かした。どうやらくすぐったいらしい。その動作は私の悪戯心を刺激し、悪い自分を表に出させた。
唇を優しく撫でて、そっと顔を近付ける。何度もバードキスを繰り返し、彼女を見た。キスによって少し覚醒し始めたのか、先程よりもぞもぞし始める。私は小さく声を出して笑って、唇を包むように口付けた。薄目で見れば、彼女はゆっくりと目を覚ます。どんな表情をするのだろうと思いながら、その時を待った。
「ラハ×ヒカセン♀」
肌と肌が触れ合う距離で、優しい声であいつが武器の使い方のコツを教えている。相手は最近暁に入ってきた新人だ。俺と同じ『新人』。以前、アラミゴでの戦いで彼女に助けられ、共に戦いたいと志願したらしい。使う武器が同じで、偶然あいつが暇だったから指導しているのだけど……見ているとなんだか落ち着かなかった。
焦るな、グ・ラハ・ティア。あの英雄と自分は恋人同士だ。そこは変わらない事実だ。恋人が知らない男と近距離にいるからって気持ちを乱す必要はない。ここは冷静に見守るべきだ。そう思ってコーヒーを一口飲む。タタルが一人一人に合わせて作ってくれているから飲みやすい苦さだ。ふー、と一息吐くと、いつの間にか隣にいたヤ・シュトラが声を掛けてきた。
「気になるなら声を掛けて来たら?」
「は? え、なんのこ」
「恋人を取られて妬いているんでしょう?」
「そ、そんなことない」
「声が震えているわよ」
冷静な瞳が俺を見抜く。この人には隠し事が出来ないと恐れを感じながら、自分の気持ちを認めて項垂れた。
「ラハ×ヒカセン♀」
目覚めた時、ベッドサイドにある時計は11時を示していた。今日は朝からヤ・シュトラやアリゼーと魔物討伐の依頼をこなす予定だったのに……やばい、寝坊だ。遅刻だ。隣ですやすや寝ている彼女を起こす。世界を救った英雄たる彼女もこのアクシデントには驚いたらしく、わたわたしながら石の家に行く準備を始めた。
なんとか短い時間で身の回りの準備をし、石の家に行くと腰に両手を当ててタタルが仁王立ちしていた。
「お二人とも、お寝坊さんなのでっす!!」
「悪い、時間通り起きる予定だったんだが……」
身長は自分より低いが心は大きな万能事務員は俺とあの人を交互に見て、胸の前で腕を組んだ。
「仲良しなのは嬉しいことでっすが、いちゃいちゃするのも大概に大概にしてくだっさいね?」
「えっ、な、なんでそれを……」
「冒険者さんの鎖骨の辺りにキスマークがあるでっす」
タタルの指摘にあの人は目を丸くして、首元を手で隠す。俺は辺りを見回し、自分達以外誰もいないことにホッとした。
「こ、これからは気を付けるから……アリゼー達にも黙っててくれないか?」
「仕方ないでっすね……わたしからの特別任務を請け負ってくれたら内緒にしてあげまっす」
やっぱり暁の女性メンバーには敵わない……そう感じながら、俺は彼女の言葉に頷いた
「ラハ×ヒカセン♀」
普段と違う姿になった私を見て、ラハは感心した表情を見せる。まじで違う種族になれるんだなーと言いながら、頭から足元まで眺めた。
今、私は『幻想薬』という種族や性別を変える神様のような薬を使って『ララフェル族』になっている。普段同じ身長のラハは子どもから見た大人のように大きく、お兄さんといった感じだ。ラハってこんな逞しいんだなとか、男性特有の威厳があるんだなとか思いながら見ていると、彼はくすっと笑って跪いた。
「なんか、あんたに見上げるられることなんてないから、面白いな」
「ほとんど身長同じだもんね」
「それに、今のあんたはミコッテの時以上に可愛い」
甘く穏やかな笑みを浮かべて彼は言う。好きな人に可愛いと言われて、私の胸は高鳴った。自然と頬が熱くなる。
「なーに赤くなってんだよ、おらっ」
ラハは少年のように笑って、私の頬をつついた。ララフェル族特有の弾力のある頬が、ぷにぷにと動く。
「ううっ、もう、からかわないでー」
「それは難しいお願いだな。小さくなったあんたもすげぇ可愛いんだからさ」
恥ずかしげもなくラハは糖度の高い台詞を口にして、私のときめきを増幅させていった。
「ゼノス×ヒカセン♀」
「ゼノスの誕生日っていつなの?」
あいつの一言で、俺は自分が生まれた日を意識させられた。誕生日。きっとあいつのような平和の味を知る蛮族からしたら、重要なものなのだろう。しかし色のない世界にいた俺には興味がなく、それ故に記憶にもないことだった。
「……忘れた」
「え? 自分の誕生日なのに?」
驚きの表情を見せ、あいつは俺を見つめる。興味がないのだから仕方ない。
「じゃあ、今日があなたの誕生日ね!」
「何だと?」
「覚えてないなら、私が決めてあげる。今日がゼノスの誕生日」
きらきらと輝く太陽のような笑みを浮かべ、半ば無理矢理意見を通した。眩しい。触れてはいけないものに触れているような痛みが心に走る。それでもこの女を愛するのは、俺の世界に光を与えたからだ。
「お前がそう言うのなら、今日で構わぬ。くくっ、祝ってくれるのだろう? 愛しい恋人の為に」
そう言って、俺はあいつを寝床に押し倒す。一瞬揺らいだ美しい瞳は、すぐに淫らな色を見せた。
「アイメリク×ヒカセン♀」
イシュガルドに完成した冒険者居住区。その視察を兼ねて顔を出してくれたアイメリクさんに、フレンチトーストを作ってあげた。園芸師ギルドに立ち寄った際に、マスターのフフチャさんから頂いた果実を添えて。彼が好きなバーチシロップが入った小瓶も一緒に机に乗せると、ぱあっと柔らかな笑顔が広がった。
「美味しそうだね」
「お口に合うかどうか分からないけど……シロップも好きなだけ使っていいからね」
わたしの言葉に彼は礼を言い、とぷとぷとシロップを掛ける。通常よりも多めにシロップが乗せられたそれを丁寧にナイフで切り、口へ運ぶ。柔らかな笑みがさらに絆されて、満足そうにわたしを見た。
「すごく美味しいよ。さすが、君の作った一品だ」
「ありがとう」
「出来たら……毎日私の為に甘い菓子を作って欲しいのだが、どうだろうか?」
「!?」
言葉の意味を察して、わたしは頬が熱くなる。優しい顔はシロップより甘く誘うものに変わり、答えを待っていた。
「アイメリク×ヒカセン♀」
彼女は英雄だ。イシュガルドだけでなく、エオルゼアの、そして第一世界と呼ばれる場所の。だから私以外の人に声を掛けられ、方々に引っ張りだこなのは仕方のないこと……と思うようにしているはずなのに、納得出来ていない自分がいた。彼女より年上なのに大人げない。分かっているのに、今もこうして、嫉妬に任せて執務室の壁際に追い詰めている。誰かが来てしまうという彼女の訴えを無視して、唇を貪り、濡れた瞳で見つめる恋人に興奮を覚えた。
「アイメリクさん……」
「そんな目で見つめないでくれ……もっと、君を穢したくなってしまう」
抱いてはいけない思いを心に芽生えさせて、彼女を抱き寄せ、再度口付けをした。
「水晶公×ヒカセン♀」
淡い桃色のマニキュアで塗ったネイルチップ。アナンタ族のアルパの依頼を手伝った時に、お礼にと貰ったものだ。それを爪に付けて、公が待つ星見の間に向かう。案の定、他愛ない話をしている際に彼はネイルチップの存在に気付き、「あなたによく似合う色だ」と褒めてくれた。チップ自体は貰い物だが、マニキュアを塗ったのは私自身だったので嬉しくなる。自分で塗ったのだと伝えると、あなたは器用だねとまた賞賛してくれた。
「ラハも塗ってみる? 男性でマニキュアする人もいるし、足の爪ならそれほど目立たないし」
「え、いや、私は……いいよ」
何故か顔を赤らめて断るその理由が、私とゼロ距離で触れ合うからだと知ったのは、また別の機会。
「ラハ×ヒカセン♀」
セブンスヘブンで冒険者仲間達に奢られて酔っ払った英雄……そして俺の恋人をおぶって、石の家のあいつの寝室に運ぶ。背中では「らいじょうぶらからー」「じぶんでもどりぇるー」と舌っ足らずに文句を言っている彼女がいるが、無視だ無視。寝室まで辿り着き、ベッドに寝かせる。酔いを覚まさせる為に水を取りに行こうとすると、甘える声で名前を呼ばれた。
「ラハ……」
「なに?」
「一人にしないで……」
見れば、泣き出しそうな顔で俺を見ている。彼女は英雄だが、一人の年頃の女性だ。小さな背中に抱えきれない悲しみも無理して背負ってきたんだ……俺の知らないところで。そう思って、ベッドに腰掛けて手を握る。落ち着くまで傍にいようと決めた。
「水晶公×ヒカセン♀」
それは、ユールモアでカイ・シルのお手伝いをした後。戻ってきたクリスタリウムでラハに会いたくて、星見の間の扉を開こうとした時、扉の向こうからラハの声が聞こえてきた。
「貴女はこの空に瞬く星のように美しく、力強い。その美しさは私の心に突き刺さり、忘れられぬ記憶となっている……ああ、愛しき人よ」
まるで戯曲のような言葉達にどきりとする。一人で何かの練習をしているの? 練習してるとしても何の? それとも誰かいるの……? 様々な疑問が湧き上がり、扉を開けられなくなる。中にいるラハは私の存在に気付いていないのか喋り続ける。
「ローズクォーツのように愛らしい瞳、小鳥のように可愛い声……全部好きだ。貴女は今宵、どのような鳴き声を聞かせてくれるのだろう?」
後半の内容が刺激的過ぎて、わたしは頬から耳に掛けて熱を感じた。こんな状態じゃラハに会えない。一目散に逃げ出したわたしが、『愛する気持ちを拘って伝えたいからアラグの戯曲を元に愛の言葉の練習をしていた』という真面目な彼らしい理由を知って更に恥ずかしくなるのは、その夜の事だった。
「ラハ×ヒカセン♀」
ただ、仲間と話しているだけだ。それを分かってる……分かってるのに、もやもやした気持ちが心に生まれる。それがシャーレアン魔法大学の図書館で読んだ心理学書に書かれていた『嫉妬』なのだと理解した時、愚かしい自分が嫌になった。自分の汚らわしい部分を知って自己嫌悪して、馬鹿だなと思う。このままじゃ、あの人の前でまともな顔が出来ない。
そう思って石の家を出ようとしたら、彼女に呼び止められた。
「どこか行くの? それなら私も……」
「あ、ああ……その、ちょっと」
上手く話せずに舌がもつれる。溜め息を吐いて、頭を掻いた。
「わ、私が一緒じゃまずい、かな……ごめんね、気付けなくて」
彼女はそう言って足早に立ち去る。俺は未明の間に入っていく姿を見届けることしか出来なかった。
―――謝る必要があるのは、あんたじゃねぇのに……
自分の不甲斐なさが嫌になる。息を吐き出し、気持ちを整える為に外へ出た。
「ラハ×ヒカセン♀」
バルデシオン分館。午後の日差しが差し込むメインホールで休憩がてらお茶を飲んでいたラハは、クルルの何気ない発言に口内の液体を少量吹き出した。
「そう言えば、ラハくんはヒナナさんにプロポーズしたの?」
「ぶふっ!」
口から飛び出した茶は、クルルが用意してくれたクッキーに掛かる。彼の動揺ぶりにクルルは苦笑し、期間限定のラズベリークッキーなのに……とつぶやいた。
「いや、今のはあんたが悪いだろ」
「ラハくんがこんな慌てるなんて予想しなかったから……世界は平和になったし、覚悟を決めて話をしたのかなって思ったんだけど違ったのね」
苦笑いを楽しそうな笑みに変えて、耳と尻尾を忙しなく動かす男を見つめる。ラハは視線を泳がせ、『脅威はなくなったけどあの人は忙しいし』『冒険者稼業を優先させてあげたいから、縛るようなことはしたくないし』などとぶつぶつ言い訳を並べ始めた。
「毎日会えるわけじゃないし、そういう話をするタイミングがいつも掴めなくて……」
「ふむふむ、そっか……ラハくんはどう考えてるの? 早めに結婚したい?」
優しい瞳をラハに向け、クルルは問う。問われた本人は、小さく唸って考え、ここ数年以内には……と答えた。
「オレが優先すべきはバルデシオン委員会の復活だし、その優先度を下げて結婚を急ぎたいとは思わない。でも、ずっと後回しにするわけにもいかないから……数年以内って考えてる」
「委員会復活を優先してくれてありがとう。じゃあそんなにプロポーズを急がなくてもいいか」
ラハの答えを聞いてクルルは納得する。しかしラハは首を横に振った。
「いや、全部落ち着いてからプロポーズってのも遅い気がしてさ。早めに伝えておいて、それを目標にお互いやるべきことを頑張ろうなってしたいんだけど……」
「だけど?」
「ヒナナに会うと、一緒にいるのが嬉しいのもあって言うタイミング逃しちゃうし、伝える勇気が出てこないし……」
話しながらラハは小さくなっていく。プロポーズよりも大きなことを成し遂げてきたのに、こういうところで小心者になる彼が可愛らしいと感じる。幼い時から『お姉さん』的存在であったクルルは、弟の背中を押そうと笑顔を見せた。
「大丈夫。ラハくんなら上手く伝えられるわ。それに、ヒナナさんも待っていると思う」
「あの人が待っている?」
「うん。恋する女の子ってそういうものよ。大切な恋人とある程度お付き合いしたら、そろそろプロポーズされるのかなって期待して……どんなシチュエーションで話してもらえるのかなって色々妄想しちゃったりしてね」
鈴のように笑いながら、女子目線でプロポーズについて話す。幼い時から自分を支えてくれていたクルルの言葉を聞いて、そういうもんなのか……とつぶやいた。
「ええ、そういうもの。女の子の方からプロポーズして結婚する夫婦もいるそうだけど、わたしとしてはラハくんから結婚のことを伝えて欲しい」
クルルの思いも受け取って、ラハは考える。少しして、何度か頷き、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「今日明日すぐには難しいけど、近いうちにプロポーズ出来るように頑張るよ。ヒナナが喜んでくれるようなシチュエーションも考えて、な」
「頑張って。何かお手伝いが必要だったら、わたしやオジカも協力するから言ってね」
「おう、ありがとうな」
少しだけ自信の光を取り戻した彼を、クルルは嬉しそうに見つめる。
すると、扉がノックされ、受付の方からオジカの声が聞こえた。
「ラハー! ヒナナさんが来たよー」
「あ、そうだ。一緒にラストスタンドに行こうって約束してたんだ」
「あら、デートの約束をしてたのに忘れてたの?」
からかうように話すクルルに、ラハは再度尻尾を忙しくする。最近資料集めでばたばたしてて忘れていた、と正直に話し、紅茶を一口飲んでメインホールの出口に向かった。
「素敵な時間を楽しんで来てね」
「ああ。ヒナナと一緒にいる時間は、いつだって最高だからな」
きらきらと輝く笑顔でラハは部屋を出ていく。そんな彼を親のような気持ちで見送ると、受付の方から二人が話す声が飛んできた。
「ここで待ってなかったってことは、ラハ、約束忘れてたでしょ?」
「え!? いや、そんなことは……」
「そんなことある。尻尾が動揺してる」
「わ、わりぃ! 色々忙しくて……」
「ラストスタンドでおいしいプディング奢ってくれたら許してあげる」
「うう、分かった……それで許してくれるなら……」