Vi et animo

思い出の味

 オスタル厳命城の近く。クリスタリウムから程良く離れた集落で、英雄の彼女と水晶公は罪喰いの残党を狩った。溢れた光により、おどろおどろしい見た目の罪喰いを倒し、苦しげな表情で消えていくそれを見て、彼女は心苦しくなった。
 元を正せば、これらも人間だ。人が光を浴び、変化した姿。それを知っているからこそ、痛みがじんと広がった。生きている人々を助ける為には仕方ないことだと思いながらも、罪悪感が今でも感じられる。彼女は消えゆくそれに、小さな祈りを捧げた。
 その後、集落の住民から感謝され、ささやかなお礼の品をもらった二人は、集落とクリスタリウムの中間地点で野営することにした。既に日が落ちかけ、月が現れようとしている。夜を取り戻した今でこそ分かる変化だ。今か今かと出番を待っているであろう月の頭を見ながら、彼女と水晶公は程良い広さの洞窟に入った。
「今日はここで夜を明かそう。近くに魔物の巣はないし、罪喰いの残党にだけ気をつければ良い」
「さすが水晶公。レイクランドのことに詳しいのね」
 何気なく彼女に褒められた水晶公は、耳をぴくぴくと動かして喜びを表す。それを可愛いと思いつつ、彼女は道具袋から調理道具と食材を取り出した。
「何か作ってくれるのかい?」
「ええ。いつもあなたに甘えてばかりだから……今日は調理師でもあるわたしの腕を披露するわ」
 竜騎士として冒険をしつつ、調理師としても修行をしていた彼女は、にっこりと笑う。水晶公はその笑みと優しさに温かな気持ちになった。
「ありがとう。どんな料理か楽しみにしているよ」
「万全の設備があるわけじゃないから、豪華なものは作れないけれど……あなたの期待に応えられるよう頑張るわね」
 そう言って彼女は食材を眺めてレシピを考える。少しして、あっ、と何か思いついたような顔をし、調理に取り組み始めた。
手際よく食材を扱う様子を水晶公は座って眺める。野菜と肉を切って鍋に入れ、状態を見ながら丁寧に灰汁取りする彼女に、思いを募らせていった。
 料理とは、基本、誰かの為にするものである。それが自分だったり、家族だったり、友達やはたまた恋人だったり……対象は人や時によって変わる。今彼女は、彼女自身と自分の為に料理をしてくれているという事実に水晶公は恋慕していたのだった。優しく丁寧に、きっと真心を込めて作っているであろう彼女。自分が大切に思われている気がして、嬉しかった。思わず、頬が緩みそうになる。一人でにやけていては彼女に怪しまれてしまうので、水晶公は息を吐いて心を整えた。平静を装っていたが、赤いふさふさの尻尾だけは、喜びを表すように揺れていた。
 少しすると、空腹を刺激する美味しい匂いが漂ってくる。
「これは……シチューを作っているのかい?」
 鼻をすんすん、と動かしながら、水晶公は問う。彼女は頷き、もうちょっとだから待っていて、と言った。
 まるで母親の手料理を待つ子どものような気持ちで、水晶公は英雄特製シチューの完成を待つ。あくまで平常心を保とうとしていたが、心はとても浮足立っていた。
 完成したシチューが木の器に盛られ、水晶公の前に出される。器からは良い匂いと穏やかな湯気がふわふわと流れていた。それらは水晶公の食欲を突き、満面の笑みで待ち構えている。
 彼女を見ると、自分の分をよそった器を地面に置き、傍に腰を下ろして待っていた。
「あっ……すまない。冷めない内に食べよう」
「うん、頂きます」
「いただきます」
 手を合わせ、食材への感謝を伝える。原初世界では大人に教えられてなんとなくやっていた食前の動作だったが、こちらに来て、その意味を深く感じた。日々、食事にありつけることは当然ではない。当然ではないからこそ、食べられることに感謝をする。植物や動物の命を頂くことに祈りを捧げる。こちらに来て、たくさんのことを学んだと水晶公は感じた。
 感謝と祈りを込めた後、彼女が作ったシチューを掬って口に運んだ。野菜の旨味が溶け込んだ柔らかな味が舌に広がる。肉も程良い硬さになっており、噛みやすかった。調理師の腕も確かだが、彼女の食べる相手に対する優しさが感じられた。
「どうかしら?」
 彼女は少し不安そうに水晶公を見る。
 水晶公は穏やかに微笑み、美味しいよ、と答えた。
「原初世界でクリスタルタワーの調査時も作ってくれたものだろう? 懐かしく、安心する味だ」
「まあ、本当? ありがとう」
 彼女はきらきらとした目で礼を述べた。可愛らしいと水晶公は感じる。だから、少し意地悪をしてしまった。
「あなたの作る美味しいシチューを毎日食べたいな……」
「クリスタルタワーの調理場を借りれるなら、毎日作るけれど」
「それは……私の妻になってくれるということかい?」
 水晶公の言葉に、彼女は顔を真っ赤にする。
「な、なな、何を言ってるの!?」
 予想していなかった台詞に戸惑う彼女を見て、水晶公の中の愛おしいという気持ちは大きくなった。すぐに抱き締めてやりたくなるが、そんな欲望のままの行為は出来ないと自分を抑制する。
「ふふっ、冗談だよ」
 水晶公は口ではそう言ったが、目は心を表していた。それに彼女は気付き、高鳴る胸をぎゅっと抑えるのだった。