その感情が『嫉妬』だと分かった時、自分の欲深さが嫌になった。ただ、彼女はクリスタリウムの皆と話していただけだ。その中で容姿を褒められただけだ。それなのに、私は彼女を取られてしまったかのような気持ちになり、心が重くなった。この街を束ねる長として、英雄の恋人として、それは持ってはならない感情だ。しかし、黒い思いが収まることはなく、わたしは心から飛び出さないように抑えつけた。
何の罪もない住民に嫉妬したなんて、彼女にも知られたくない。こんな汚い部分を見られたくない。私は平静を装って、その場から立ち去る。星見の間に戻り、そのまま私室に入ると、力任せに壁を殴った。鈍い音が響いて、痛みが手に走る。薄汚い感情を抱いてしまったことが腹立たしくて、無機物に怒りをぶつけた。
こんな私が彼女を想っていていいのか、彼女の恋人でいいのか。嫉妬と自己への怒りは、嫌悪に変わっていく。もっと綺麗な心でいなければ、他者に嫉妬する見苦しい水晶公など、彼女は嫌いだろう。芽吹いてしまった思いを土に還し、清く立派な水晶公を呼び戻す。深呼吸をして扉を開くと、そこには彼女がいた。
「ヒナナ……」
驚きとともに焦りが湧き上がる。彼女はどこから知っている?壁を殴る音を聞いてしまっていたら……頼れる優しい恋人、という彼女の前で作り上げていた自分が消えてしまう。私は頑張って微笑みを浮かべ、不安そうな彼女に問うた。
「どうしたんだい?」
「いつの間にかいなくなってったから、心配で……探しに来たら、大きな音がしたからびっくりしちゃって。何かあったの?」
知られたくない部分から知られていたことに衝撃を受ける。どう繕えばいいんだという焦りと、ヒナナに嫌われてしまうという不安が同時に襲いかかった。冷や汗が出る。息が苦しくなって、声が震えた。
「あ……あれは、その……」
「ラハ……?」
憂いの色が濃くなる。彼女は私に顔を近付けて、優しく表情を伺った。
「大丈夫? 何か、言いたくないことなら、無理して言わなくていいよ」
包み込むように温かい彼女の声が耳に響く。見せたくないものを隠そうとしている悪者の私に対し、どこまでも親切で申し訳なくなってしまう。その気持ちに負けて、ぽつりぽつりと胸の内を伝えた。
「……先程、武器屋の店主に愛らしい見た目だと褒められていただろう? それを聞いた瞬間、ヤキモチを焼いてしまって……あなたに知られたくないと思ってここに戻って来て、怒りに任せて壁を殴った」
「……」
「どうしようもない、見苦しい男だな、私は……」
言っていて虚しくなる。きっとヒナナは失望しただろう、自分を愛してくれている人が、こんな嫉妬に塗れた男だと知って。今までのようには接してくれないかもしれない。全ては自分の心の甘さのせいだと思いつつ、彼女の言葉を待った。
「そんなことないよ」
「え?」
「人間らしくて、良いと思う。それにわたしが同じ立場だったとしたら、ラハみたいに相手に妬いてたはずだし」
「ヒナナ……」
想定外の言葉に、目頭が熱くなる。抑えきれなかった雫は溢れ、頬を濡らした。海のように広い心を持ち、受け止めてくれる彼女の優しさに、感謝と安堵でいっぱいになる。抱きしめたくて、腕で包み込むと、応えるように背中に手を回してくれた。
「あなたの言葉に心が救われた……ありがとう」
「大したことはしてないよ。それに世の中に完璧な人はいないんだし、好きな人を思って嫉妬するのは、自然なことだと思う」
「そうか……なら、良かった」
ホッとして笑みが溢れる。自分の黒い感情が悪ではないと分かり、取り繕う必要もなくなり、緊張の糸が解けた。
すると、ヒナナは少し体を離して私に笑顔を向ける。これは何か、楽しいことを考えている時の顔だ。
「折角、ラハの部屋に来たからお茶にしましょう? 話したいことがたくさんあるの」
大好きな彼女からの誘いに、心が踊る。私は頷いて、ヒナナの手を手に取った。
「ああ、良い考えだ。あなたのことをたくさん聞かせて欲しい」
そのまま手を唇に近付け、触れるようにキスを落とす。唐突で柔らかなふれあいにヒナナは驚き、頬を赤くした。照れる彼女を見て、可愛らしいと思う。もっと可愛いヒナナを見たいと欲が芽生えたが、それは彼女との穏やかな時間のあとにすることにした。ヒナナはこれからもずっと、私の恋人なのだ。時間に余裕はある。恥じらう彼女の手を引いて、私は部屋の扉を閉じた。