Vi et animo

指輪が意味すること

 それは、深い意味もなくしていたことだった。ただサイズ的にそこがちょうど良かったとか、それだけのことで。子どもの無垢な言葉を受けるまで、彼女は意識していなかった。
「ねぇねぇ、闇の戦士様、ケッコンするの?」
「え?」
 クリスタリウムで幼い女の子達と遊んでいたところ、彼女の手を見た一人の少女がそう尋ねたのだった。闇の戦士と人々に敬意を込めて呼ばれている彼女―――ヒナナは、困惑の表情を浮かべた。
「け、結婚? なんで急に」
 子どもに似合わぬ色めいた話題を振られ、ヒナナは焦る。体温が急に上がり、手に汗を掻いた。ただ、『知りたい』という欲求に素直な子ども達は、興味津々な様子でヒナナに答える。
「だって、左手の薬指に指輪してる。ここに指輪をしてる人は、ケッコンする人かフウフになった人だってママが言ってたもん」
「あっ……」
 少女の言葉を聞き、ヒナナはハッとなった。指輪を嵌める場所によって意味が異なる、と聞いたことはあるが、それを意識して装飾品を付けたことなどなかった。サイズがちょうど良いとか、戦闘時や製作時に邪魔じゃないとか、利便性を考えた配置しか彼女は考えていなかった。
 昔はそういったおまじないのようなことを信じて色々試していたが、冒険者、ひいては英雄として活躍するようになってからは、そんな女性らしいことを意識することがなくなっていた。
「確かにこの指は……そう、ね……」
「やっぱりケッコンするの? 誰と? 水晶公と?」
「水晶公のお嫁さん?」
 曖昧に言葉を返すヒナナに、子ども達は直球の意見をぶつけてくる。彼女が付き合っている、もう一人の英雄、それが水晶公だ。町の皆は、子どもから老人まで、二人の関係を知っている。だからこそ、少女達はヒナナが水晶公と結婚するのだろうと予想を立てたのだった。
 いずれはそうなるかもしれない。全ての問題が解決したら……。でもそれは『もしも』の話であり、多くの責務を背負った自分が望んではいけないことだ、とヒナナは気持ちを抑える。
 彼女はぽっと朱に染めた頬を少し落ち着かせて、「いつか、ね」と返した。
「いつかっていつー?」
「わたし、ケッコンシキ見てみたーい!」
 しかし純情な少女達はぐいぐいヒナナに迫る。真っ直ぐな知識欲故の行動であるが、ヒナナは困った。どう答えたら、子ども達は納得してくれるのだろう。当惑の色を顔に浮かべていると、もう一人の当事者が声を掛けてきた。
「やあ、ヒナナ。子ども達と遊んでいたのか」
「公……!」
 何も知らずに穏やかな笑顔で現われた水晶公を見て、ヒナナはさらに困惑した表情をする。そこから、ただごとではないと察知した水晶公は、意を決して近付いた。
「何かあったのかい?」
「それが―――」
「ねぇ! 水晶公と闇の戦士様のケッコンシキはいつなのー?」
「いつするのー?」
 ヒナナが説明しようとするよりも先に、子ども達は水晶公に質問攻撃を仕掛ける。『結婚』という単語を聞き、水晶公は耳をぴーんと立て、尻尾をばたばたさせた。
「け、けけ、結婚!? どういうことだい!?」
 水晶公は上ずった声でヒナナに尋ねた。先程まで穏やかだった顔には、恥ずかしさと焦りが混ざった表情が浮かび、紅い瞳は強くヒナナを見つめた。
「えっと、実はね―――」
 ひどく取り乱した彼に、ヒナナは子ども達とのやり取りを話す。水晶公は少しずつ落ち着きを取り戻し、そういうことか……とヒナナの手を見つめた。
 確かに、左手の薬指には、恐らく攻撃力を高める為の指輪が嵌められている。冒険者として、英雄として、戦うことの多い彼女としては無意識のことなのだろう。しかし、大人の女性と指輪、という関係をロマンティックに捉えている子ども達にとっては、それは別の意味に映っていた。
「ねぇねぇ、いつなのー?」
 答えを返してくれない二人の大人に対して、子ども達は不服そうに頬を膨らます。彼女達の無垢な行動を見て、水晶公は可愛らしいと感じた。彼は二人の頭を一人ずつ撫でてやり、それは秘密だよ、と答える。
「えー、ひみつー?」
「ずるーい」
「二人が良い子にしていたら、いずれ教えよう。それと……ちょっと大事な話があるから、彼女を借りて良いかい?」
 優しく尋ねると、子ども達は互いに顔を見る。すぐに笑顔になって水晶公に視線を戻し、大きく頷いた。
「いいよ。今度は水晶公も一緒に遊んでね!」
「ああ、勿論」
 子ども達と指切りをして、彼はヒナナに視線を移す。温かな笑みを向けると、恥ずかしそうに目を伏せ、頷いた。
 水晶公は彼女に手を差し伸べる。
「行こうか、ヒナナ」
「こ、公……!」
 気障な行動にヒナナはさらに羞恥を顔に見せ、おずおずと彼の手を握った。
「わぁ~、お姫様と王子様みたーい」
「すてき~~」
 まるで、夢物語を見ているかのように目を輝かせ、子ども達は感激の声を上げる。彼女達に見つめられていることにヒナナは頭巾を被りたい気持ちになったが、大人としてなんとか我慢した。
 水晶公はヒナナをエスコートし、星見の間の方へ歩いていく。またね、と手を振る彼に、子ども達は大きく両手を振って挨拶を返した。
 星見の間に辿り着き、水晶公の私室まで連れてこられると、ヒナナは真っ赤な顔で彼を見る。その表情には、羞恥と恋のときめきが入り混じっており、瞳からは涙がこぼれそうになっていた。
「な、なな、何なの! さっきのは~~~!」
「良いじゃないか。夢を見ることは大切だ」
 そう言って、水晶公は笑う。ヒナナは火照った顔で彼に抱き着き、その胸に顔を埋めた。
「そうかもしれないけれど……わたしは色んな責任を背負ってて、あなただってクリスタリウムの守護者として抱えるものがあって……変に期待させないで」
 ヒナナは吐露しながら、涙を流す。それは水晶公には見えなかったが、彼女の声で察していた。
「……不安なら、その暗雲を私が払おう。乗り越えなければならない壁があるのなら、この手を貸すよ。一緒に歩いて行こう」
「本当に? 信じていいの?」
 顔を沈めたまま、ヒナナは問う。目的の為に彼女に嘘を吐いていた水晶公は心に痛みを感じつつ、ああ、と力強く頷いた。
「今の私の言葉に嘘偽りはないと、約束しよう」
「ラハ……」
 ふっと、ヒナナは顔を上げる。そこには半信半疑といった表情が浮かんでいた。
「私を、信じてくれるかい?」
 自信を持って、真っ直ぐに彼女を見つめる。水晶公が捉えたヒナナの瞳は、初めこそ不安そうだったが、だんだんと穏やかな色に変化していった。
「えぇ……信じるわ」
「ありがとう、ヒナナ」
 彼女の言葉に、水晶公は湧き上がる喜びを感じた。それを表すように抱き締めて、ヒナナの温もりを感じる。桃色の髪から見える同じ色の耳にそっと口付けた。
「いつか必ず、結婚しよう。その時は、あなたの薬指に素敵な指輪を送るよ」
 水晶公はそう言って、彼の言葉に頬を朱に染めるヒナナに甘い口付けを与えた。