Vi et animo

君の声が聞きたくて

 目の前には、閉ざされた扉があった。いつも俺を出迎えてくれる優しい笑顔はない。様子を尋ねてくれる穏やかな声もない。突然過ぎる悲しみと、今の自分には何も出来ないというやるせなさから、泣きそうになる。それでも、彼が大好きな『英雄』であろうと心に決め、湧き上がる雫を堪えた。
 彼がいるであろう思慮の間に続く扉の前には、べーグ・ラグが立っている。挨拶をすれば、彼は優しく返してくれた。
「ああ、こんにちは。水晶公は、今手が離せない状態でな」
「分かってるよ。君とウリエンジェと一緒に研究を進めているから会えないのは……」
 俺を見つめるべーグ・ラグは申し訳なさそうな顔をする。ラハと俺が恋人であることは知らずとも、特別な絆で結ばれていることは察しているようだった。彼の表情に心が痛む。用件を済ませて、早く移住館に戻ろうと思った。
「ならば、何故……」
「これを水晶公に渡して欲しいんだ」
 そう言って、俺はリンクパールをべーグ・ラグに手渡す。
「確かこれは、リンクパール、といったな」
「うん。俺と水晶公が通話する用に原初世界の職人に作って貰ったんだ」
 さすがは物知りなべーグ・ラグ。第一世界が発祥じゃない道具についても、調査済みのようだ。彼はそれを大切に持って、頷いた。
「承知した。後程、水晶公に渡しておこう」
「ありがと。あと、今夜連絡するから身に付けておいてとも伝えておいて」
「ああ」
 小さな賢人に礼を言い、俺は星見の間を後にする。頑張り過ぎる恋人を案じながら、自室のある移住館へ戻った。

 その夜。星が空に輝く頃、俺は窓辺のへりに座って、リンクパールで通信した。水晶公が持っているであろうリンクパールに通話を呼びかける。数秒すると、おずおずと彼が応答してくれた。
「も、もしもし……?」
「ラハ、聞こえる? 俺だよ」
 耳元に響く恋人の声に、安堵と高鳴りを覚える。声から察するに、緊張しているが元気そうだ。
「ああ、聞こえているよ。あなたの声が……久しぶりに聞く」
「俺もラハの声を聞くのは久しぶりだよ。ちゃんとご飯食べてる? 寝てる? 元気?」
 まるで母親のように矢継ぎ早に質問してしまう。ラハは苦笑してから、問いに答えた。
「食事は、ウリエンジェが気にして用意してくれるし、睡眠はべーグ・ラグが声を掛けてくれる。だから……元気だよ」
 だから、のあとの間が気になったが、ひとまずきちんと人としての生活はしているようで安心した。何故、すぐに元気だと答えなかったのだろうと引っかかりながら、俺は「良かった」と返す。
「もし、食事や睡眠よりも研究を優先していたら、俺、ラハがいる部屋の扉を剣の舞いで破壊するからね」
 最終手段を口にすると、ラハはなっ……と短く叫んだ。
「あなたは時々怖いことを言うな。そうならないように気を付けなくては」
「俺は本気だからね? ラハと一緒に生きたいんだ。一緒に色んな景色を見たいんだ」
 冗談で言っていると思われては困るので、声色を低くして伝える。運命が変わって、互いに助かった命なんだ。それを無駄にして欲しくないし、これから先も共にありたいと強く願うくらい、俺はラハのことを好きになっていた。
「君がいない未来なんて、考えられないよ。それくらい、ラハを愛してる」
「アオイ……」
 久しぶりに話したからか、未来への不安か、思いが止まらなかった。我慢していた感情が溢れ出し、涙が頬を伝う。
「だから……無茶だけはするなよ」
 声が震えた。泣いていることは、ラハにバレているだろう。彼の呼吸音が聞こえたが、俺の声と同じくらいに揺れていた。ラハも、同じ状態なのだ。
 暫く互いに、言葉が出なかった。どうすれば良いのか分からなくなっていた。
「……アオイ」
 息遣いしか聞こえない中、口を開いたのはラハだった。その声は優しく、穏やかで、俺の心を撫でてくれているかのようだった。
「何?」
「私も気持ちは同じだよ。あなたとこれからも話がしたいし、色々な景色を見せて欲しい。だから、もう生きることを諦めたりしない、絶対に」
 耳に届くラハの声はしっかりとしたもので、決意が伝わってきた。俺を安心させる為に言葉を並べているんじゃないということが分かる。
「ラハ……」
「私を信じて待っていてくれ」
 彼の言葉を聞いているうちに、不安は少しなくなった。完全ではないけれども、ラハを信じて待とうという気持ちを持つことが出来た。
「うん、君と笑顔でまた会えることを信じて、俺は俺に出来ることをしてるよ」
「ありがとう」
 ラハの声は明るくなる。俺は軽くなった心で、彼に小さなお強請りをした。
「ねぇ、ラハ」
「なんだい?」
「最後に、ラハから好きって言って」
「え?」
 先程までの真剣な空気とは相反した台詞に、ラハは素っ頓狂な声を上げた。続けて、恥ずかしそうに「私から?」「いやそれは……」「でもあなたのお願いなら……」と独り言を言い始める。きっと顔を真っ赤にしてそわそわしているんだろうなと想像し、胸を躍らせた。
「これくらいいいでしょ? ね、言ってよ」
「……う……うーん……あー……うん、分かった」
「やった」
 了承を得られたことを喜び、彼の愛の言葉を待機する。ドキドキしながら待っていると、何度か深呼吸をした彼が、羞恥の見える声で話し始めた。
「アオイ……あの……その、だな……私は、アオイを……愛しているよ。大好きだ」
 耳元で紡がれた想いに、心が熱を持つ。これからの不安を忘れられるくらい、喜びが溢れた。
「俺もだよ、ラハ。ずっと一緒に、未来を作っていこうね」
 きっと俺とラハの未来は明るく輝かしいものだ。幸せに満ちているんだ。そう信じて、俺はリンクパールの通信を切った。