Vi et animo

希望は過去から紡がれる

 月から帰還し、オールドシャーレアンでも様々なことが起こった。やっと、ナップルームで一息付ける、となった夜、ヒナナは己の武器である両手剣を、悲しげに見つめていた。月でのゾディアークとの戦いを思い出し、この手で殺した男のことを悔やみながら。
「これで……良かったのかな……」
 彼女はあの男――ファダニエルに惹かれていた。それは、彼女の魂に刻まれた記憶が関係しているが、ヒナナ自身も『ファダニエル』という存在に、いや、『アモン』という存在に興味を引かれていた。だからこそ、『死』ではなく、『生』という道を伝えたかった。ともにその道を歩みたかった。しかし現実では叶わず、ヒナナが彼を――ゾディアークを討つことになってしまったのだが。彼女はそれを『世界のための正義』だと納得しようとしていたが、心のどこかで認められず、悔やんでいた。
「わたしは……別の方法を選べたんじゃ……」
 独り言つヒナナの前に、禍々しい紫色の光が集まる。それは人間を形作り、彼女が求めていた人物となった。

「私の事、悲しんでくれているんですか? あなたって本当におめでたい馬鹿ですね」

 ハッとして顔を上げれば、そこにはファダニエルがいた。濃い紫色のローブを纏い、他者を蔑む目をした、アシエンの彼が。ヒナナは驚き、どうして?と尋ねる。ファダニエルは鼻で笑い、あなたが願ったからです、と答えた。
「わたしが、願った?」
「ええ、私の死を悲しみ、悔やんでいるあなたのおめでたい思いが、願いとなって星海に落ちて来た。だから、魂が完全に溶けるまで時間があるので、叶えてあげたんです」
 彼は理由を話して跪く。手を伸ばして、瞳が揺れているヒナナの頬に触れた。
「好きなのでしょう? 私の事。アゼムがそうであったように……あの子がそうであったように」
「あの、子?」
 ヒナナの魂には、アゼムの記憶が薄っすらと刻まれている。思い出せないが、恐らく遠い昔、彼女はオリジナルのファダニエルのことを好いていたのだろう。目の前にいる彼の言葉の前半の意味はそうだ。しかし、後半部分のことはよく分からない。『あの子』とは何者なのだろうか。理解出来ないヒナナは、首を傾げた。
「ああ……覚えていないんですね……可哀想に」
 ファダニエルはわざとらしく憐れむように言葉を発する。まるで『舞台の演技』のようだ。ぐっと顔を近付けて、優しく頬を撫でた。
「思い出させてあげます、XXX」
「えっ?」
 彼が最後に呼んだ名前が聞き取れないまま、ヒナナは唇を塞がれた。支えるように抱き締められ、深く口付けられると、過去視が起こる。そのままヒナナは、流れ込む映像を見ることとなった。

 たくさんの書籍、書類、薬品サンプルが並ぶ研究室。独特の匂いがする場所で、ヒナナと同じ桃色の髪をした、同い年くらいの女性が本の整理をしていた。リストを片手に黙々と作業に取り組んでいた彼女は、仕事を終えると、ある人物の元に向かう。移動した先には、服装は違えどファダニエルと同じ黒い髪の青年がおり、真剣に書類を眺めていた。
「アモン様。本の整理が終わりました」
 声を掛けるが、返事はない。よっぽど集中しているらしい。
「……アモン様?」
「っ……ああ、あなたでしたか。仕事は終わったのですか?」
「はい」
 にこりと微笑んで彼女は頷く。考え事の邪魔をしてはいけないと思い、報告だけして離れようとしたが、それを彼は引き留めた。
「待ちなさい。隣に……座りなさい」
 自分が腰掛けているものと同じ木製の丸椅子を目で示す。彼女は少し頬を赤らめてから同意し、対面になるように腰を下ろした。
 すると、アモンは彼女を抱き締め、耳元から首筋に掛けて口付けを落とす。仕事上、上司と部下、という関係であると同時に恋仲であったため、彼は時々こうして、スキンシップを求めた。もちろん、もっと落ち着ける場所で、キス以上のこともしたことがある。女性はいずれ、『稀代の天才科学者』と婚約し、子を成すのだろうと考えていた。ただ真っ直ぐに彼を愛していた。
 しかし、アモンは少し違った。愛おしく、心に平穏をもたらせる存在だと思っている。思っているが、それ以外に『利用価値』を見い出していた。
「アモン様……」
 彼女の頬は先程よりも朱が強くなり、瞳は潤む。求めるような表情にアモンはぞくり、とし、深く口付けた。
「んっ……ぅ……」
 口内の弱いところを刺激して、舌と舌を絡めあう。アモンの研究室を訪れる者は少ないが、仮にも仕事場だ。そういう場所でこんな行為に抵抗なく付き合ってくれる彼女は本当に従順な恋人だと思い、身に付けているワンピースの肩紐を左側だけ落とした。素肌と下着が少し露わになる。唇を離せば、彼女は困惑の表情を見せた。
「だめ、です、ここでは……」
「あの計画がもう少しで成就しそうなのです。実現出来れば、こうして触れ合う機会も減るでしょう、だから……」
 あなたの温もりを感じたいのです――愛しい人に囁かれた女性は、心優しさ故に受け入れることしか出来なかった。彼が目を通していた書類がザンデ復活計画における不老化をまとめたものであり、実験体として『彼女』の名前が記載されていることも知らずに……。

 そこで映像は途切れた。ヒナナは恐れを抱いてファダニエルを見つめる。彼はにこりと微笑み、思い出しましたか?と尋ねて来た。
「わたしはアラグの時代、あなたの恋人だった……?」
「ええ、そうです。愛しい人で、優秀な部下で……素敵な実験材料でした」
 笑みを崩さぬまま、ファダニエルはヒナナを彼女が座っているベッドに押し倒す。馬乗りになり、恋人と同じ魂の相手を見つめた。
「最期の最期まで、あなたは未来に対して前向きでした。実験体になるということは、死を意味するというのに……私の研究に貢献出来ることが光栄だとか、きっといつかまた会えるだとか……死を恐れ、泣き叫ぶと思っていたのに」
 過去の記憶を語る彼は、不服そうだった。目にした映像と、遠い過去の自分の最期を見聞きして、ヒナナは『いつだって自分は自分らしい』と感じていた。もしも今の自分が同じ立場、状況であればあの女性と同じように思うだろう。国のために大義を成そうとしている恋人の力になれるのなら、自らの命を捧げることも厭わないと。巡り巡った未来で、また会えるはずだと。
「それは、わたしがわたしの魂をずっと繰り返しているからだわ。根本にある考え方は遠い遠い過去から同じなんだと思う」
 きっと、根源であるアゼムという人物の魂が影響しているのだろう。分かたれる前の思想が、変わらず紡がれているのだ。
「くっ……ははっ、あの子もあなたも魂に囚われて、馬鹿なままってことですか」
「そうね。でも、こうしてまた会えたでしょう?」
 見下すような言い方をするファダニエルに、ヒナナは言い返す。彼はハッとし、舌打ちした。
「あなたは、会えて嬉しくない?」
「……あの時から長い長い年月を経て、恋人のことなんてどうでもよくなっていました。世界とともに死ねればそれでいいと。早く終わらせて欲しいと。だから、嬉しさなどありませんよ」
「そっか……でも、きっとまた巡り会えるわ。今度は仲間として、ね」
 ヒナナは優しく微笑む。世界に終末の危機が迫っているというのに、どこまでも前向きな考えにファダニエルは嘲笑した。
「また会える? 世界は終末を迎えようとしているのですよ? いくらあなたでもそれを乗り越えることは」
「出来るわ。みんなと力を合わせれば」
 相手の言葉に被せて、ヒナナは力強く返す。その瞳には、固い決意の光が宿っていた。
 あの時愛していた女性にそっくりの『希望の光』に、ファダニエルの気持ちは揺らぐ。彼女の心を凌辱し、絶望を与えてやろうと思っていたが、過去の『アモンの思い』が邪魔をして、出来なかった。ほんの少しでも、希望を抱いてしまっていた。
「ならば、やり遂げてみせてください。終末を回避し、転生した私と出会う、ということを」
 彼の言葉にヒナナは頷く。その前向きさを憎たらしいと思いながら、ファダニエルは彼女にキスをした。
「っ!」
「嫌いじゃないですよ、今、この時代のあなたも。あの子に似て真っすぐで、純粋で……体の奥底まで穢してあげたくなる」
 不敵な笑みとともに紡がれた台詞に、ヒナナはドキリとする。
 初心な反応を示した彼女を笑い、ファダニエルは姿を消した。唇に、温もりだけが残る。かつての恋人とまた出会うためにも、必ず終末を退けるのだと、ヒナナは決意した。