Vi et animo

愛され英雄の苦難

 第一世界から原初世界に戻ってきて、初めてのヴァレンティオンデー。ラハにどんなお菓子を贈ろうか、どんな一日にしようか一週間ほど前から悩み、計画してきたのに……。ハイデリンもゾディアークも各地の蛮神も、どの神様も英雄に穏やかな一日を与える気がないようだった。


 タタルさんと一緒に前日に作ったブラウニーが閉じ込められている可愛いラッピングの箱を持ってラハにヴァレンティオンデーの話をしていると、石の家の扉が開き、雪の国にいるはずの彼がやって来た。
「突然の訪問、失礼する」
「ア、アイメリクさん!?」
 本当に言葉通りだった為、わたしは驚く。ラハも初めて会う人物に目を丸くした。
「アイメリクって、『蒼天のイシュガルド』にも名前があったあの国の議長だよな……?」
「うん。一緒に戦ってくれた人だよ」
 驚きがあった彼の顔には、たくさん読み込んだ物語の登場人物に会えて嬉しいという好奇心の輝きが現れる。少年のような表情にラハらしいなと愛おしさを感じつつ、初めて石の家にやって来たアイメリクさんに目を向けた。
「急にどうしたの? イシュガルドで何か問題が?」
 復興は順調に進んでいると話に聞いているが、まだ課題は山積みだ。アイメリクさん達の手に負えない問題が起きたのかと思ってそわそわしてしまうと、彼は予想外の台詞を口にした。
「今日はその……エオルゼアではヴァレンティオンデーという特別な日だと聞いている。わ、私にも何か、君から贈り物が欲しいと思って……」
 段々と彼の声は小さくなっていき、普段、貴族院の議長として、神殿騎士団の総長として凛々しく立ち振る舞うアイメリクさんらしくなくなっていく。長い耳の端がほんのり赤くなり、申し訳なさそうにわたしを見た。
「えっと……ア、アイメリクさんもプレゼントが欲しいってこと……?」
「あ、ああ。き、君には恋人がいるというのに出しゃばった真似をして済まない。しかし私も、祖国を救い、国そのものを変えるきっかけとなった君のことを敬愛していて、大好きなんだ! だからヒナナからの何かが欲しくて……!」
 謝りつつもアイメリクさんは肝の据わった主張をする。どうしようと思ってラハを見ると、彼は頷いた。
「ヴァレンティオンデーってのは、恋人同士だけのイベントじゃないんだろ。お世話になった人や友達にも贈り物をするって、さっきあんた言ってたじゃないか」
「うん……」
「共に苦難を乗り越えた仲間に、感謝の気持ちを込めて贈るのはありだと思うぜ。俺に気を遣ってるのなら、大丈夫だから。んなことで嫉妬したりしねぇから」
 にっと微笑むラハに安堵し、わたしはアイメリクさんに笑顔を向けた。
「チョコレートブラウニー、暁のみんなや、レヴナンツトールの皆さんにもと思ってタタルさんとたくさん作ったの。たくさんもらっていって」
「ありがとう……ルキアやフランセル卿の分も頂いて良いだろうか。二人も君の作った菓子を食べたいと言うだろうから」
 アイメリクさんはぱぁっと表情を明るくして申し出る。みんなに喜んでもらえるならお安い御用だ。タタルさんに声を掛けると、様子を見守っていた彼女はとてとてと近付き、ひまわりのような笑みを見せた。
「三人分でっすね! 承知しました。少々お待ちくださいでっす」
「事前の申告もなしにお願いして申し訳ない」
「構わないのでっす。それほど冒険者さんが皆さんに信頼され、大人気ってことでっすから、暁の受付として嬉しい限りでっす」
 居た堪れない視線を向けるアイメリクさんに対し、彼女は軽く首を横に振り、キッチンの方に駆けていった。アイメリクさんは、感心した様子でそれを見送る。
「イシュガルドに滞在していた時も感じたが、しっかりしたお嬢さんだ」
「暁の受付として、色々な経験をしてるから……良い意味でも悪い意味でも」
「そうか……」
 わたしの言葉に、彼は切なげに目を伏せる。どこかしんみりした空気になってきたと感じたらしいラハが、あの……と声を発した。
「また、今度で構わないから、イシュガルドでのヒナナの活躍、聞かせてくれないか? 本には書かれていない、当事者から見た英雄を知りたいんだ」
「私で良ければ。代わりに、あちらの世界での英雄殿の活躍を聞かせてくれるかい?」
 少年のようなラハのお願いに、アイメリクさんは快く承諾する。どうやら、彼もラハと似たような部分があるようで、控えめながらも目を輝かせていた。
「勿論だ。ヒナナの大活躍っぷりを話すよ」
 にこにこと嬉しそうにラハが答えると、三つの紙袋を抱えたタタルさんが戻って来た。
「おまたせしまっした!」
 それをアイメリクさんに渡し、受け取った彼はお礼を言う。
「ありがとう。すぐにお返し出来るものがなくて申し訳ないが、またイシュガルドに来ることがあればその時は私を尋ねてくれ。復興の進んだ蒼天街を案内するよ」
「噂の蒼天街、とても気になりまっす! 今度時間の空いた時にお伺いさせてもらいまっす」
「ヒナナも、恋人殿とともにまたいつでもおいで。イシュガルドの民は君達を心から歓迎する」
 柔らかく微笑み、アイメリクさんは軽く会釈する。本当に心優しい人だなぁと思いながら、近々復興の手伝いをしにいく予定だと伝えた。
「君が手伝ってくれたら、民の励みにもなる。感謝しているよ。それじゃあ」
「うん、またゆっくりお話しましょう」
 幸せそうに紙袋を持って石の家を出ていくアイメリクさんを見送り、ラハを見る。突然のことで驚いたね、と話そうとした瞬間、彼は赤毛の耳と尻尾をぴんと立てて叫んだ。
「ヒナナ、後ろ!」
「えっ!?」
 急なことで反応が遅れる。振り向こうとしたと同時に『知っている匂い』がする誰かに背後から抱き締められ、自由を奪われた。
「捕らえたぞ、友よ」
 この声は、この呼び方は……。でもどうしてここに? そもそもどうやって? 様々な疑問と憶測を抱きながら、背後にいる男の名前を口にする。
「ゼノス……」
「あいつの言う通り、空間を行き来できるのは面白い。こうやってお前にもすぐに会いに行ける」
 喜びの色を含ませて、ゼノスは言葉を発する。その唇はそっとわたしの耳に触れて、愛おしむようにキスをしてきた。
「きゃっ……」
「お前!!」
 ラハが怒りを露わにして叫ぶ。今ここにいる人で戦えるのは、ラハとわたししかいない。タタルさんは戦闘経験なんてないし、他のみんなは任務や修行で出払ている。どうしようと思っていると、さらに厄介な人物が現れた。
「おやおや、殿下がお姫様に会いに来ただけなのに、随分な対応ですねぇ」
 エメトセルクがそうしていたように、空間が避けて黒衣のファダニエルが現れる。彼はくすくすと楽しそうに笑って、ぱんっと指を鳴らした。
 直後、わたしとゼノスとファダニエル以外の世界の色がモノクロになる。石の家の装飾も家具も食べ物も、タタルさんもラハも色を失って、ぴくりとも動かなくなってしまった。
「な、何をしたの……!?」
「我々以外の時間を停止させただけです。そんな怒らなくてもいいじゃないですかぁ。あなただって、殿下に気があるんでしょう?」
 厭味ったらしい笑みを口元に浮かべ、彼はわたしの目の前まで近付く。そっと頬を撫でて、唇を優しく押した。
「んっ……」
「……あまり悪戯が過ぎるとお前も消すぞ」
 ファダニエルの行動に機嫌を損ねたゼノスが釘を刺す。『消す』という言葉に少し嬉しさを見せつつも、彼はさっとわたしから離れた。
「この世界から跡形もなく消えるのは私の本望ですが、まだその時ではありません……どうぞ、殿下はお姫様との甘い一時をお楽しみください。止まった時は、あなたの意志で動き出しますから」
 詐欺師のような怪しい笑顔を見せて、彼は闇に溶け込むように去っていく。ゼノスに自由を奪われたままのわたしは、一連のやり取りを見ているだけしか出来なかった。
「ゼノス……どういうつもり? みんなを解放してあげて」
「用が済めば自由にしてやる。それまで俺の言う事だけ聞いていろ」
 有無を言わせない様子でゼノスはそう言って再度耳にキスをする。何も抵抗せずにいると、こちらを向けと命じられた。彼の用さえ終わればラハ達に危害を加えられることはない。わたしが耐えればいいんだ。思い出してはいけない感情に蓋をして、ゼノスの指示通りにする。彼と対面する形になると、ゼノスは不敵に微笑み、耳に触れた。
「今日はヴァレンティオンデーという、愛を伝える特別な日だと聞いている。だからお前に、俺なりの『愛』というものを与えに来た」
「ゼノスの、愛……?」
 予想外の展開に、わたしは疑問符を浮かべる。ゼノスの愛ってなんだろう。もしかして、これから決闘しようとしかそういうこと? だとしたら非常にまずい。わたしは緊張しつつ次の言葉を待った。
「お前を俺に縛り付ける。このイヤリングによってな」
 ゼノスは上機嫌でわたしが付けていたペリドットイヤリングを外し、代わりに赤い宝石がついたイヤリングを付けた。
「これは俺の愛だ。次に剣を交えるその日まで、なくすなよ」
 彼は一方的に事を進めて、唇にそっと口付ける。どこまでも自分勝手で、相手の気持ちを推し量るのが不得意な人だと思った。彼にとってこのアクセサリーはきっかけに過ぎない。本当に求めているのは、熱を感じ合う事、そして命のやり取りだ。その為に、自分の存在を忘れさせない為にこれを与えたんだ。
「ゼノス……わたしは……」
「お前があの男を選ぼうと関係ない。最高の戦いをし、その命を終わらせるのは俺だ。その瞳に最期に映るのは、俺だけだ」
 そう言い残して、ゼノスはファダニエルのように闇に溶けていく。直後、世界に色が戻って、後方から仲間の声が聞こえた。
「ヒナナ!」「冒険者さん!」
 振り返れば、案じるような表情のラハと目に大粒の涙を称えたタタルさんが駆け寄ってくる。ラハはわたしを抱きしめ、平気か?と質問した。
「うん……大丈夫。何も、されてないから」
 嘘だ。物で精神的に縛られ、唇も奪われたのに。ラハに余計な不安を抱かせたくないと真実を隠してしまう。彼は考えるように少し間をおいてから、わたしの言葉を受け入れた。
「そうか、なら、いいんだ」
「あ、あの……」
 重たい空気の中、タタルさんが口を開く。大きな瞳を濡らした彼女は、困惑した表情で言葉を続けた。
「さ、三人でお茶にしまっせんか? 冒険者さんと作ったお菓子、グ・ラハさんに食べて頂きたいでっす」
「うん、そうだね。みんなでゆっくりお茶を飲もう。折角のヴァレンティオンデーなんだもの」
 にこっと微笑んで、わたしはタタルさんの言葉に頷く。ラハも同意して、準備を手伝うよと彼女に声を掛けた。
 いつのもように首を横に振り、グ・ラハさんは冒険者さんと席についていてくださいとやんわり断るタタルさん。毎度毎度一人でやらせるわけには、と食い下がらないラハ。二人の微笑ましいやり取りを見つめ、必ずこの平和な時間を守ってみせると心に誓った。