Vi et animo

両思いとなる君へ

 目覚めた時、視界に映ったのは弟の――イヴの安堵した表情だった。私を見つめ、瞳に涙を溜めて、あいつは微笑んでいた。
「にいちゃん、目が覚めたんだね」
 私の『死』を知りたいという欲望に巻き込み、死なせてしまった弟に、どんな顔をしたらいいのかわからず、思考が停止する。何も言わないこちらを案じて、イヴは心配そうな顔をした。
「どこか痛い? 苦しいの?」
「いいや、違う……違うんだ。私は……お前を」
「良かった! それなら、『あいつ』のところに行こう。にいちゃんが起きたら知らせるように言われてるんだ」
 私の言葉を遮って、話を進める。イヴの言う『あいつ』が何者なのか気になってので、ひとまずついていくことにした。

 私が目覚めた場所は、『方舟』と呼ばれる乗り物で、現在は宇宙空間を航行しているらしい。進化した機械生命体が安住出来る星を求めて。ここの管理をしているのが、『あいつ』ことN2と呼ばれる、赤い洋服を着た少女型の精神体だった。彼女は機械生命体の意思であり、イヴや私のデータを回収して方舟で再現している。イヴは私より早く目覚め、N2の下で他の機械生命体のデータとともに暮らしていたそうだ。
 これからは何も邪魔する者はいない、静かに暮らすことが出来ると、イヴは嬉しそうに言っていた。確かにここには破壊のために襲ってくるアンドロイドもいない。脅威はない。しかし、私はイヴとともに居て良いのだろうか。
『死』とは、喜びを共有する相手を失う事。冷たく苦しい事だと身を持って知り、もう興味はない。出来ることなら、イヴと知識を共有して生きていきたい。だが、あいつを死に至らしめたのは私の責任だ。イヴはそれをどう思っているのだろうか。本人に聞くことを恐れ、自然と、距離を置いてしまった。
 折角また生きた状態で会えたのに。機械である私は、『恐れ』を知り、イヴの心に触れられないでいた。

 目覚めて数日。書庫で本を読んでいると、音もなくN2が傍にやって来た。
「弟と距離を置いているようだな」
「っ……お前か。急に声を掛けてくるから驚いた」
「それは悪い事をした。しかし、イヴは悲しんでいたぞ。自分が何か良くない事をしてしまったのではないかと、な」
 少女の顔に似合わぬ年老いた男の声で、彼女は語る。イヴらしい反応に胸が痛んだ。
「あいつのせいではない。私の、責任だ」
「何?」
「イヴが死んだのは、私の欲望に巻き込んだせいだ。死の原因となった兄がこれからも傍にいて良いのか、それが分からずこうするしかないのだ」
 胸中の思いを吐露する。N2は鼻で笑い、そんなの本人に聞けばいい、と返した。
「分かっているさ。だが、私は怖いのだ。共に居ることが恐ろしいと、あいつに拒否されるのが……イヴのことを、大切に思っていると、失った時に気付いてしまったから……」
 言うつもりがなかった言葉まで口から零れた。弟を、イヴをもう失いたくない、好きだという気持ちまで、勢いに乗って外へ飛び出した。N2はそれを聞いてニヤリと口元に笑みを浮かべ、後方にある本棚の陰に向かって声を投げた。
「聞いていたか? 兄はお前を大層大事に想っているようだぞ」
「な……?」
 驚く私の前に、物陰からイヴが姿を現した。どうやら、隠れて私達の会話を聞いていたらしい。あいつは少し頬を赤らめて、戸惑った表情でこちらを見た。
「にいちゃん、俺のこと、大切、なの?」
「ああ……」
 頷くしかなかった。本人に聞かれていたことが少々恥ずかしいが、事実なのだから。
「嬉しい。俺もね、にいちゃんのこと、大切。大好き。だから、一緒にいたくないなんて思わないよ。ずっと、傍にいてほしい」
「イヴ……」
 自然と椅子から立ち上がり、イヴを抱き締める。温かな熱がじんわりと伝わって、胸の奥に優しい感情が芽生えた。
「これからも、一緒に本を読んで、一緒に遊ぼう。にいちゃんとやりたいこと、いっぱいあるんだ」
「ああ、いいよ、イヴ。お前がしたいことをしよう。喜びを分かち合う相手がいることが、我々の幸せなのだから」
 そっと髪を撫でる。この子も同じように、『大切』だと思っていたのだと知り、胸の中にあった靄が晴れていった。きっと、イヴはずっと私を大事に想っていたのだろう。私がその『感情』に気付けなかっただけで、あの時から変わらぬのだと感じた。
「ねぇ、にいちゃん」
「何だい?」
「あのね、俺……にいちゃんのこと、大好きって言ったでしょ?」
「ああ」
「あの大好きは、その……あ、愛してるって意味もあって、その……俺、にいちゃんのこと……」
 急に耳まで朱に染めて、イヴはそわそわし始める。傍から見ていたN2はくすりと笑い、後はお前達二人でなんとかしろ、と言って去っていった。イヴの状況と『愛してる』という言葉の意味を考える。『愛』とは人間同士の恋愛における大事な感情だ。それをイヴは持ち、私に向けている。それが意味することを理解するのは、難しいことではなかった。
「私の事を、恋人として見ている、ということか?」
「あっ、うん……駄目、だよね? にいちゃんはにいちゃんだもんね」
 イヴは困った顔をする。確かに私はイヴにとって『兄』だ。しかし、前に読んだ書物には、きょうだい同士、同性同士で愛し合うこともあると書いてあった。この感情はあながち間違いではないと思い、駄目ではない、と返した。
「お前の愛は誤ったものではない。それに、私の中の好きという想いも、もしかしたら愛に近いのかもしれないと考えている」
「本当?」
 あいつはぱぁっと明るい表情になってこちらを見つめる。可愛らしく、愛おしいと感じた。ああ、やはり、私もイヴと同じなのだ。きょうだいである相手を、愛しているのだ。
「本当さ。だから……これからはきょうだいであり、恋人だ、イヴ」
「うん!」
 嬉しそうに頷いて、そのまま私に顔を近付ける。そっと唇同士を触れさせて、小さく笑った。
「へへっ、ちゅーしちゃった」
 愛らしい弟の笑顔は、私の中の欲望を刺激する。何故、好いた者をいじめたいという気持ちが沸き上がるのか分からなかったが、私はイヴをいじめてやりたいと思っていた。
「イヴ……もっと、気持ち良いキスを教えてあげよう」
「?」
 唇同士を近付けて、相手の唇を舐める。刺激に驚いて開いた口内に舌を挿入し、音を立てて絡め取った。
「んっ……ぅ……」
 甘い声がイヴの口から零れる。私は舌を動かして、イヴに『快感』を与えた。あいつは啼きながら、私を抱き締める。少し酸素が足りない状態まで口付けて解放すると、濡れた瞳がこちらを見つめた。
「にい、ちゃん……これ……気持ち良いの、好き……」
「もっとして欲しい?」
「ん……欲しい。でも、なんか、イケナイことしてる気もする」
 突然与えられた快楽という果実に、戸惑っているようだった。本当に可愛い子だと思い、頬にキスを落とした。
「イケナイことではない。欲しいなら、もっとしよう……けれど、ここではなくて、私達の部屋で、な」
 きっとイヴは、それ以上も欲しいと思うだろうから――最後の部分は声にせず、自分の中で呟く。頬を赤くさせて同意するイヴを連れて、二人の私室へ戻った。