「心が死ぬ時」
華やかな花火が上がる人類の遊園地……の廃墟。機械生命体達が着飾って踊る楽しげな世界の一角で、イヴは美しき歌姫と呼ばれた彼女の残骸を見ていた。
「好きな人に振り向いて欲しい……分かるよ、その気持ち。俺も、俺を見て欲しいんだ、にいちゃんに」
散らばった部品を拾い上げ、自嘲気味に笑う。相手に見てもらえず、一方的に思いを募らせて散っていった彼女と自分を重ねた。
兄は自分のことを『大切な弟』だと、『家族』だと言ってくれる。頭を撫でてくれる。話を聞いてくれる。けれど、その瞳はイヴを見ていない。彼を自分の目的の為の駒だと思っている。イヴはそれに気付いてしまった。兄は自分を心から大事に思っていない、道具だと考えていると。
「俺はただ、二人で静かな場所で暮らせればいいんだ。兄ちゃんと遊べればいいんだ。でも……俺の気持ちは、兄ちゃんに届いてないんだ……」
自分もいつか、こうやって心通じず死んでいくのだろうか。
そう思って、虚しくなった。
「……兄ちゃん。俺は、兄ちゃんにとってなんなの? 本当に弟なの?」
彼の疑問は劇場だった空間に消えていく。答えは、そこにはない。
「知らない世界で、二人だけの」
変な歌を歌う道具屋で買った、見慣れない時計。道具屋は、一日だけ別の世界へ旅が出来る懐中時計だと話してくれた。その説明を半信半疑で聞いていたアダムだったが、弟のイヴとともに使ってみて、それが事実だと知った。
時計の針を回すと温かい光が溢れ、眩しくて目を瞑った次の瞬間、廃墟ではなく森の中の町にいた。
「どこだ……ここは?」
「別の世界ってとこなのかな? すごいね、ヒトがたくさんいるし、変な飾りがいっぱいある!」
現在地について疑問に思うアダムとは違い、イヴは町に施された祭りらしき装飾やおかしな格好をしている人間達に興味津々だった。
「……確かに滑稽な装飾だ。顔のある南瓜、悪魔や魔物の変装をした人間……これは一体……」
街中あちこちに、様々な表情にくり抜かれた南瓜が置かれ、同じような南瓜が描かれた垂れ幕が木に付けられている。彼らが初めて目にした本物のヒトは、何故か悪魔、魔物、魔女、お化けの格好をし、菓子を貰ったり配ったり、誰かを脅かしたりしていた。
「ねぇにいちゃん、これはみんな何をしてるの?」
「んむ……書物で読んだことがない状態だ。記録に残されていない、禁断の行事なのだろうか」
アダムは顎に指を添えて考え込む。兄でも知らないことがあるんだなとイヴは思った。
すると、悪魔の格好をした少女が二人に話しかけてきた。
「おにいちゃん! トリックオアトリート!」
「とり? なんだそれ?」
イヴは不思議そうな顔をする。予想外の反応に少女も同じような顔をして、ハロウィンだよ?知らないの?と尋ねてきた。
「はろうぃん? 聞いたことねぇ。それって楽しいのか?」
知らない相手でも気兼ねなく話す事が出来るイヴは、少女に質問を返す。彼女は変な大人だと思いながらも、ハロウィンについて説明してくれた。
「へぇ、色んな格好してお菓子をもらうのか! 楽しそうだな、俺もやりたい!」
イヴは無邪気に笑う。二人のやり取りを聞いていたアダムは、これも人間を理解する一環だと考え、それを了承した。
「やってもいいが、我々は配る菓子も身に付ける仮装道具も持っていないぞ?」
アダムの言葉を聞いて、イヴは一瞬にしてテンションを急降下させる。表情豊かな彼を見て少女は笑い、お菓子を分けてあげると提案した。
「いいのか?」
「うん、おにいちゃん達面白いから」
「面白い? それって良い事なんだよな? へへっ、嬉しい」
イヴは少女の言葉をポジティブに受け取って微笑む。それほど良い事ではないのではないかとアダムは思ったが、イヴの為に黙っておくことにした。
少女はイヴたちに飴を渡しながら、仮装道具は町の道具屋で貸し出しをしていると教えてくれた。
「いろんなのがあるから、好きなの選ぶといいよ」
「そーなんだな! ありがとな」
「どういたしまして! それじゃあね」
悪魔の格好をした少女は、元気良く手を振って走り去っていく。同じように手を振って、イヴは見送った。
「にいちゃん、ハロウィン、やろう?」
「ああ、その道具屋とやらに行ってみよう。イヴに似合う仮装があるといいな」
アダムは穏やかな笑みを弟に向ける。イヴはその言葉に頷き、高鳴る期待に胸を踊らせた。
「お試し節分」
ある日、にいちゃんがクリーム色のつぶつぶが入った袋を持ってきた。そこら辺を走り回ってる道具屋から買ったものらしい。
「それ、なーに?」
「これは豆、というものだ。人類は節分と呼ばれる日にこれを年齢の数だけ食べ、健康を願ったらしい」
「へぇ……俺達も食べるの?」
にいちゃんは人間の真似をして研究するのが好きだ。俺はにいちゃんが喜ぶ顔が見たいから、いつも協力してる。きっとこの節分も真似するんだろうなと思って、そう尋ねた。
「ああ、イヴは賢いな、良い子だ」
にいちゃんは優しく笑って、俺の頭を撫でる。胸がぽっと温かくなって、嬉しい気持ちになった。
「へへっ♪ じゃあ節分ごっこしよ! 年齢の数って、俺達何個食べればいいのかな?」
わくわくしながらにいちゃんに質問する。そもそも機械生命体に年齢ってあるのかなとふと疑問に思ったが、家族や兄弟って概念があるのだからきっと年齢も存在するんだろうと考えた。にいちゃんと過ごして、俺も頭が良くなってきた気がする。
「うむ……私達はまだ生まれて一年と経っていない。人間に例えれば、0歳の赤子だ」
「え、そうなの?」
「ああ、だが心配するな。月の数だけ食べれば良いのだ」
にいちゃんは自信満々にそう言って、眼鏡をくいっと指で上げる。とてもかっこいい仕草で、心が踊った。
「にいちゃんあったまいい! さすがだね!」
「私の知識と探究心を持ってすれば容易いことだ。私達がこの世に誕生して約5ヶ月…豆は5つ食べれば良いだよ」
にいちゃんは答えを示し、袋から5つ豆を出す。それを俺に渡してくれた。
「ありがと、にいちゃん」
俺はそれを受け取ってじーっと見つめる。初めて見る豆というものは、小さな小さな楕円形のちょっと硬いものだった。
「小さいんだな、豆って……あ、そうだ!」
ふと、楽しいことを思いつく。昨日読んだ本に書いてあったあることを試したくなった。
「にいちゃんの分の豆、俺が食べさせてあげるね!」
「ああ、構わないが……急にどうしたんだ?」
「昨日読んだ本に書いてあったんだ。家族への愛情表現として、時々代わりにしてあげることが大切だって」
「ほぉ……学んだことを実践するのは良いことだ。やりなさい」
にいちゃんはどこか含んだような笑みを見せてから頷いた。俺は自分の分をにいちゃんの分にして、一粒指で摘む。それをにいちゃんの口元に慎重に持っていった。
「……はい、どうぞ」
ただ食べさせてあげてるだけなのになんか緊張する。この後、もっともっと緊張することになるなんて、この時の俺は思ってもみなかった。
「欲しいもの」
三月十四日。この日は二月十四日のように特別な日だと本で読んだ。それは人間の女がよく読んでいた『ファッション誌』と呼ばれるもので、服装とか化粧とか内面を磨いて男を魅了するとか、いろんな情報が書かれていた。イヴは身を飾ることには興味なかったが、友達など人付き合いに関するページはしっかり読み、兄との関係の参考にしようとしていた。
「三月十四日は、バレンタインデーのお返しを貰う日なんだ……俺とにいちゃんは恋人じゃないけど、バレンタインの時に交換ごっこしたからまたやりたいな」
先月のバレンタインの時、兄とプレゼント交換会を行ない、いつもの林檎に水飴の加工が施された林檎飴を貰った。イヴは花で作った冠を送り、兄は嬉しそうにしていた。あの瞬間感じた喜びを、また味わいたいと思った。
「交換ごっこするとして、何をあげようかな……ホワイトデーって渡すプレゼントで意味が違うんだ」
雑誌に書かれている内容を見て、彼は呟く。そこには、プレゼントに込められた意味が書かれていた。チョコレートは大好き、クッキーは友達、マカロンは特別な人……などなど。当時の女性は、異性から貰ったプレゼントの内容と意味を照らしわせて、一喜一憂していたのだろう。
「どれがいいんだろう。にいちゃんは俺にとって特別な家族だし、大好きだし……チョコレート? マカロン? 両方渡せばいいのかな?」
渡す内容についてもイヴは悩む。んー、と唸っていると、後方から相手本人が話しかけてきた。
「どうした、イヴ。何か困っているようだが」
「あっ……にいちゃん。えっと……実は、ね」
贈る相手に相談するのもどうかと思ったが、どうせなら兄が欲しいものをあげようと悩んでいることを話した。
「そうか。ホワイトデーの贈り物を考えていてくれたのか」
「うん。にいちゃんの欲しいものをあげたいなって思って」
兄はイヴの優しい気持ちを知り、穏やかに微笑む。弟の思いやりが嬉しいと感じたからだ。
「欲しいもの、か」
「うん、何でも言って! 俺、頑張って用意するから」
ニコニコと笑みを浮かべ、イヴは兄の答えを待つ。
アダムは純粋な弟に愛おしさを覚えつつ、望むものを伝えた。
「そうだな……私は、お前が傍にいればそれで幸せだ」
「えっ……」
「物が欲しいとは思わない。お前の笑顔を見ることが、私の喜びだ」
驚くイヴの髪をそっと撫でる。イヴは兄の温かさを感じ、大きく頷いた。
「ずっとずっと、俺は兄ちゃんの傍にいるよ。嫌だって言っても離れないからね」
そう言ってイヴはアダムに抱き着く。アダムは小さく笑い、そっと抱き返した。
「罪の林檎」
林檎を食べてしまったイブとアダムは、楽園から追放されてしまった―――
以前読んだ本にはそう書いてあった。けれども、自分と兄はこの世界から追い出されない。追い出そうとしているアンドロイド達はいるが、彼らの襲撃に勝利している。じゃあ、林檎を食べたら追い出されるなんて、この本は嘘吐きじゃないか。イヴはそう思って、知りもしない作者を嘲笑った。
自分と兄の平和を妨害するものは許さない。存在するとしたら、この手で潰す。だからきっと大丈夫だと、彼は自分に言い聞かせる。明日も明後日もそのまた明日も、兄と一緒に笑っていられると。自分の前から兄が消えることはないと。言葉に出来ない不安を、押し潰した。
「嫉妬の炎」
赤い炎が揺らめく。それは温かく、あるはずのない【心】が穏やかな気持ちを覚えた。嫌だ、とか、疲れた、とかそういった不快なものが消えていく。ゆらゆらと燃ゆる炎をじっと見つめるイヴに対し、アダムは怪訝そうに声を掛けた。
「どうした、イヴ。そんなに疲れたのか?」
彼ら二人は、森で散策中、道に迷って知らない場所で野宿しているのだ。ネットワークで情報を駆使している機械生命体の二人だが、情報のない場所は未知である。未知への恐怖はないものの、たくさん歩いて疲労を感じていた。特に素直なイヴは、それを率直にぶつけていたのだった。
「いや、違うよ。これ……焚き火、だっけ。なんか、落ち着くなって思って」
「落ち着く……か。まるで、心があるかのような言い方だな」
眼鏡をかちゃっと上げ、真剣な面持ちでイヴを見る。弟の『ヒトとしての成長』が見られる際、兄は研究者の如く鋭い目をするのだった。まるで、自分にない何かを羨んでいるように。
その目に、イヴは恐れを感じる。胸がぎゅっと締め付けられ、怒られているような気持ちになるのだった。
「にいちゃん、俺、悪いことした……?」
「何故そう言う?」
「すごく、怖い顔してる……」
怯えながら、イヴは答えた。眉を下げ、混迷を極める弟を見て、アダムは自分が攻撃的な表情を向けていることに気付いた。またやってしまった、と後悔する。イヴに『感情』の成長が見られると、ついこの顔をしてしまう。やってはいけないと、分かっているのに。
「すまない、怖がらせてしまって……怒っていないよ」
「本当?」
「ああ」
アダムは『笑顔』を作り、イヴに見せた。それを見て、彼はホッとした表情をする。
「良かった、いつものにいちゃんだ」
幼子のようにイヴははにかむ。彼の頭を優しく撫でて、アダムは自分の行ないを否定した。
「希望に繋がりますように」
世界には、希望と絶望がある。人間はどちらか、もしくは両方を抱き、生きていたらしい。僕たち機械生命体は、この先に続く未来でどちらを抱くのだろうか。長い、長い、到着点の見えない方舟の旅路の中で、僕は思った。
僕が望むのは、にいちゃんと静かに楽しく暮らす未来だ。それは希望に溢れているだろう。でも、もしもそれが叶わなかったら? 『絶望』というものが広がっていたら? そう考えたら、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
ほろり、ほろりと涙が零れる。方舟の図書室で、一人泣いている僕を見つけたのは、大好きなにいちゃんだった。
「どうしたんだ? イヴ」
にいちゃんは慌てて僕のそばに来てくれる。ああ、そんな辛そうな顔させたくないのに……。ごめんね、と思いながら、顔色を確認しようと僕の前に跪いて、少し顔を近付けてくれたにいちゃんに微笑んだ。
「大丈夫だよ。ちょっと……嫌なことを考えちゃっただけ」
「嫌なこと?」
聞き返すにいちゃんに、僕は未来に絶望しかなかったら……と不安に思ったことを告げる。にいちゃんはハッとし、少し考えてから優しい声で言葉を紡いだ。
「確かに、お前の言う通り、世界には希望と絶望があって、人間は命運をそれに左右されていた。絶望しかない未来、というものもあったと書物で読んだことがある」
「うう……」
「けれどね、イヴ。また別の書物にはこう書いてあったんだ。誰かが希望を強く抱けば、世界は明るい色に染まる。また逆も然り、と。どういうことだか分かるかい?」
にいちゃんの問いかけに対し、僕は考えを巡らせて答えを探る。にいちゃんの言葉を頭の中で繰り返して、僕が抱いている不安とどう関係するか考えて。辿り着いた『答え』を見て、あっ、と声を出した。
「俺が、にいちゃんと幸せに暮らしたいって強く願っていれば、希望に辿り着けるってこと?」
僕の答えににいちゃんは頷いた。胸の奥が、苦しくなくなる。代わりにあったかい気持ちが広がった。
「お前が望めば、きっと願いは叶う。大丈夫、私も到達する先が希望だと願っているよ」
そっと髪を撫でて、にいちゃんは穏やかに微笑んだ。僕の好きな顔。これからもずっと、一緒に笑っていたいなと思って、本でしか知らない神様に、僕たちの未来が希望に溢れていることを願った。