アイメリクさんは猫を飼っている―――そんな話は、以前神殿騎士団の本部を訪れた時にルキアさんから聞いたことがある。人間で言うと15歳くらいのまだ若い雄猫で、仕事の帰り道に捨てられていたのを拾ったのだとか。優しい人だなぁと感心しつつ、アイメリクさんも執事さんもすごく可愛がっているという恋人のプチ情報に耳を傾けていた。
それが一週間くらい前。久しぶりに休暇の予定が合い、ボーレル邸にお邪魔している今現在、目の前で展開されている事態に、わたしは『嫉妬』というものを感じていた。
例のアイメリクさんの飼い猫が、久々にご主人様がのんびりと家で過ごしているからか、甘えて胸に頭を擦り寄せている。それを彼は苦笑しつつ、愛おしそうに毛を撫でていて……本当ならわたしがそうしたいのに、と猫に妬いていた。けれどもそれを彼に伝えることは出来ず、猫と恋人の戯れを少し困った様子で見つめた。
「すまない、折角時間を合わせて来てもらったのに、この子が……」
ゆったりと猫の毛を撫でてやりながら、アイメリクさんは申し訳なさそうに謝る。アイメリクさんは悪くない、と首を横に振ると、彼は穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、君は心の広い人だ。まだこの子は私から離れないだろうから、少し、冒険の話を聞かせてくれないか? 最近君がどこをどのように旅をしたのか、知りたいんだ」
わたしに気を遣ってくれたのか、単なる好奇心ゆえか、冒険話を所望する。あまり負担に思って欲しくないし、これ以上嫉妬するのは不躾だと思い、ラハと向かった魔物討伐の依頼について語った。わたしが暗黒騎士として盾役になり、ラハが魔法で補助しつつ大きなモルボルを退治したこと、ラハが魔法の使い過ぎで疲弊し、モルボルに足を取られて大変だったこと。誇張することなく語り、アイメリクさんはそれを楽しそうに聞いてくれる。時々、気になったことを質問してくれたり、それは大変だったねと頷いてくれたり、語り手に対する配慮も忘れていない。どこまでも優しいアイメリクさんに、嬉しさを感じると共に申し訳なくなる。
話し終えた時、彼は案じるようにわたしを見つめた。
「ヒナナ……?」
「えっ……?」
「やはり、君と言えど、好きな人が目の前で自分以外のものと戯れていたら不快かな……」
申し訳なさが顔に出ていたわけでなく、構ってもらえないことが不満なのではないかと察したようで、アイメリクさんは猫にボールなどの遊び道具がある方へ行くよう促す。雄猫は賢い子らしく、ご主人様とわたしを順に見て、仕方なさそうにアイメリクさんから離れていった。
それを見届けて、彼はわたしに視線を移す。困惑するわたしを楽しそうに見つめて、ぐっと距離を縮めてきた。自然と、座っているソファに押し倒される形になる。いきなりのことに声も出せないでいると、アイメリクさんは小さく笑って、耳に唇を近付けた。
「これでたくさん可愛がってあげられるよ。嫉妬のお姫様」
「へっ……!? 気付いてたの?」
甘く囁かれた言葉に驚き、目を丸くする。彼は頷き、表情は隠せても、耳やしっぽは素直だからねと返した。どうやら、どこかの水晶公のように感情を表してしまっていたらしい。わたしも他人のことを言えないなと感じた。
「ふふっ、さて……私にどうして欲しいのかな? して欲しいことを言って」
アイメリクさんはわたしの瞳を捉え、頬を撫でながら問う。肌から感じる温かさと刺激に心をときめかせ、羞恥を覚えつつ、望みを口にした。
「あの……キス、して」
「どこに?」
「ふえっ? ど、どこって……えっと……唇とか、ほっぺとか、首とか……い、いつもしてるところ」
恥ずかしさを振り切って、頑張って言ったのにアイメリクさんは狡い。どこにキスをして欲しいか、それを聞いてくるなんて……わたしが恥ずかしがるのを絶対に楽しんでいる、と気付いて、胸の熱さを覚えながらも答えた。彼はにっこりと優しく有無を言わさない笑みを浮かべて、唇や頬、首筋に何度もキスを降らせてた。そっと、肌を味わうように。柔らかな唇は肌に触れ、小さな恋の疼きをいくつも生み出していく。わたしはぴりりと走る快感に体を熱くさせ、アイメリクさんを見つめた。
「っん……アイメリクさん……」
「どうしたんだい?」
「もっと……」
「もっと、何?」
「いっぱい、キス、して……」
熱くなった体は、より強い快楽を求める。体も心も気持ち良さで埋めつくしてくれる刺激を。優しくも激しい愛を。アイメリクさんは喜色を顕にし、お姫様のご要望通りに、と唇や首筋を中心に丹念に口付けていく。ただ触れるだけでなく、舐めたり吸ったり痕を残したり。体に彼を刻み込まれ、わたしは愛を感じる。どうしようもなく嬉しくて、抱き締めていいか問うた。
「構わないよ、ほら、おいで」
アイメリクさんにもアイメリクさんのやり方があるだろうに、わたしの唐突な希望を優先してくれる。手を伸ばして背に腕を回せば、抱き起こしてくれた。ソファに座った状態で、二人抱き締め合う。服越しに感じられる彼の体温と鼓動の早さは恋の熱を熱くさせた。アイメリクさんの心音はドキドキと早く、わたしとの触れ合いに興奮してくれているのだと教えてくれる。それが嬉しくて、彼の柔らかな頬に自ら口付けた。
「ヒナナ……?」
「好きよ、アイメリクさん」
「私の飼い猫に嫉妬してしまうほどに、だろう?」
「だ、だって……あなたを盗られたみたいで、寂しくて……」
再度指摘され、慌てて答える。恥ずかしさが急上昇して、頬が火照った。
「ふふっ、そう思ってくれて嬉しいよ。私はヒナナから深く、深く愛されているのだと分かってね」
「アイメリクさん……でも、猫に嫉妬するなんてやっぱりみっともない……」
そんなことで妬いてしまうなんて、という罪悪感が募る。アイメリクさんは苦笑して、君は本当に良い子だね、と零した。
「え?」
「そこまで真面目に考えなくていいんだよ。人間誰しも、好いた相手を誰かに独占されたら嫌な気持ちになるものさ。それを表に出すか出さないかはその人次第だが……だから、いいんだよ、私の飼い猫に嫉妬しても」
「ん……」
彼は髪を撫ぜながら、優しい言葉を掛けてくれた。そのままで大丈夫なのだという包むような温かさが心に染み込む。
「ありがとう。わたし、これからもずっと、あなたのことを誰よりも好きでいるわ」
「私もだよ、かわいいヒナナ」
アイメリクさんは甘い声でそう言って、口付けてくる。軽く触れるようなものではなく、舌と舌を絡めた濃厚な交わりは、段々と思考を蕩けさせていく。唇が離されると、行為の艶めきを表すように、互いの唇を繋いでいた透明の糸がぷつりと切れた。
「アイメリクさん……」
先程の穏やかなスキンシップに加え、今の深い口付けで、わたしの体は完全にそういう気持ちになる。もっと欲しい、隅々まで愛して欲しいと訴える意味を込めて見つめると、彼はフッと笑った。
「そんな顔をされたら、堪らないな……君が嫌と言うまで、たっぷりと抱いてあげよう」
「えっ、そんなに……?」
「私を本気にさせた君が悪い……もう、止められないよ」
意地悪な笑みを称えて、アイメリクさんは胸元に痕を残す。ぴりっとした痛みが走り、肌に咲いた花に口付けて、彼はわたしの服に手を掛けた。
嫉妬はみっともないことではないと優しく説いた綺麗な人は、独占欲の塊で、深く深く、わたしを愛してくれる。表と裏のギャップにときめきながら、今宵もわたしは、彼の手の中で蕩けていくのだ。