ヒナナは悩んでいた。英雄としての自分と、女性としての自分の間で。フォルタン家の東屋にあるベンチに腰掛け、深い溜め息を零す。それは白い雲となり、イシュガルドの寒空に消えた。
「はぁ……」
何度目か分からない溜め息を吐いた時、雪国の『友』が声を掛けてくれた。
「どうしたんだ? ヒナナよ」
窮地に追い詰められた自分達に救いの手を差し伸べてくれた閉鎖都市の親友―――オルシュファンだ。彼は案じるような表情で彼女を見つめている。
「あっ、オルシュファンさん」
大切な友に心配されていることを察し、ヒナナは笑顔を作る。しかし自分を見つめる表情が変わらないことに気付き、元の困った顔に戻った。
「イシュガルドの危機に比べたら大したことじゃないから……心配しないで」
「いいや、我々に協力してくれている友が辛そうな表情をしているのを見過ごせない。良かったら話してくれないか?」
隣に腰を下ろし、真っ直ぐにヒナナを見つめる。『困っている仲間を放っておけない』というオルシュファンの純粋な気持ちは、視線となって彼女に降り注いでいた。仲間のために親身になってくれる彼の思いに申し訳なさを覚え、ヒナナは悩みを伝えた。
「……実は……恋を、していまして」
「恋!?」
想定外だった彼女の答えにオルシュファンは驚く。辺りを見回し、小さな声で尋ねた。
「い、一体誰に……? アルフィノ殿か?」
少しわたわたしている彼に彼女は吹き出し、あの子じゃないわと返す。オルシュファンは考えるような仕草をし、思いついた答えを口にした。
「もしかしてエスティニアン殿……いや、私か!?」
「どっちも不正解。あなたは親友だし、エスティニアンは良き相棒よ」
真面目に考え、ヒナナと関わりのある異性を候補に挙げていくが、悉く外れてしまう。そんなオルシュファンの様子にヒナナの心は少し和んだ。
「では一体……暁の他のメンバーなのか?」
顎に手を当てて、彼は答えを探る。あまり考えさせるのも悪いと感じ、ヒナナはヒントを伝えた。
「……ルキアさんの上司」
「ア、アイメリク殿!?」
オルシュファンは目を見開き、大きな声を出してしまったことにハッとした。再度周囲を見て、誰も自分達を気にしていないことに安堵する。
「そうか、お前はアイメリク殿のことを」
「でも、わたしと彼じゃ釣り合わないわ。わたしは家出した元お嬢様だし、あの人はボーレル家の子爵で神殿騎士団の総長。身分が違うもの」
ふむふむと納得したような様子のオルシュファンに、ヒナナは悲観的な考えを零す。彼女の言う通り、ヒナナはグリダニアでは有名な敏腕商人の娘で、とても裕福な家の生まれだ。しかし、自分の夢を追う為に決められていた婚約を破棄して家を出た。アルテマウェポンを倒し、英雄として評価されてからは少しずつ家族とも和解しつつあるが、立場が戻ったわけではない。今の彼女は、『オリヴィア家の令嬢』ではなく、『一介の冒険者ヒナナ・オリヴィア』でしかないのだ。ほとんどただの一般人と高い地位にあるアイメリク。二人が釣り合うはずもないと、恋を諦めていた。
「うーむ……確かに身分は違うし、イシュガルドはその身分を重要視する人間が多い。だが、アイメリク殿は狭い考え方をするお方ではない。希望を捨てるのは早いのではないか?」
「オルシュファンさん……」
自信のないヒナナに、オルシュファンは励ましの言葉を向ける。それでも彼女の気持ちは、前向きにはなれなかった。
「そうかもしれないけれど、あの人の立場やイシュガルドの現状を考えたら、この気持ちは表に出さない方がいいと思うの」
今、イシュガルドは遥か昔から続く竜詩戦争の真っ只中であり、アシエンや帝国の脅威も可能性が拭えない。そんな中で、自分の恋を優先させるなど、亡命して身を置かせてもらっている自分には烏滸がましいと彼女は思った。アイメリク自身も様々な問題のことで忙しい。考えることだってたくさんある。そこに自分や恋愛のことを侵入させるのは申し訳ないという気持ちもあった。
「ヒナナ……お前は本当に心優しいな。肉体の強さと心の強さ……それを併せ持つのは素晴らしく、イイ! だが……」
ネガティブなヒナナの隣で熱く語りだし、オルシュファンはバッと立ち上がる。驚いて耳と尻尾をぴん、と立てた彼女の前で両手を広げ、自論を繰り広げた。
「伝えたいことは、伝えられる時に伝えた方がいい。このような時代だ。事が落ち着いたらと考えていては、伝えられずに終わってしまうかもしれない……お前には、そのような後悔、して欲しくないのだ」
「……伝えられる時に、伝える……」
オルシュファンの言葉が彼女の中で反芻された。発言した本人は、透き通った強い瞳でヒナナを見つめる。心中で繰り返された言葉は冷たい氷を少しずつ溶かしていき、ヒナナは縦に首を振った。
「そう、だね……確かに……わたしもアイメリクさんも、いつ何時何があるか分からない……伝えられずに後悔するより、勝負して後悔した方がマシだし……うん、伝えてみようと思う!」
太陽のように微笑み、彼女はベンチから立ち上がる。初めよりも明るい表情のヒナナにホッとして、オルシュファンも小さく笑った。
「ふふっ、イイ表情だ」
「ありがとう。あ、でも、オルシュファンさん……」
「どうした?」
「……緊張するから、一緒についてきてくれる?」
申し訳なさそうに苦笑して、ヒナナは友人に頼む。大きな脅威と戦う勇ましい英雄でも、告白は緊張するのだなと思い、彼女の人間臭さに表情が緩んだ。
「ああ、構わない。お前の力になれるなら、何でも協力するぞ」
オルシュファンと二人、神殿騎士団本部に向かったヒナナは、執務室で想い人と向き合っていた。当の本人―――アイメリクは、知人とエオルゼアを救った冒険者の突然の来訪に戸惑いと緊張を見せる。
「二人が揃ってここに来たということは、何かあったのかい?」
異端者に関する事件で何かあったのか、それとも竜との戦いにおいて問題が? アイメリクは身構え、ヒナナの言葉を待った。
「あの……ね、アイメリクさん」
「あっ、ああ……」
普段のしっかりした雰囲気とは違い、恥じらいを見せる乙女の雰囲気を持つ彼女に彼は余計緊張する。心臓の動きが強く意識され、手に汗が滲んだ。
「わ、わたし……あなたのことが、好き……なんです」
不安が見え隠れする潤んだ瞳で彼を見上げ、ヒナナは告白した。純朴な彼女らしい、真っ直ぐな言葉がアイメリクに告げられる。それを聞いてアイメリクは瞳を揺らし、そっと視線を逸らした。
「……君の気持ちは嬉しいよ。だが、今この状況で、プライベートを優先することは出来ない」
「っ……そう、です……よね……」
ヒナナは強い衝撃を受けたかのような顔をして、すぐに萎んだ表情をして俯く。耳も尻尾も元気をなくし、栄養を失った花のように下を向いた。
「すまない……」
申し訳なさが全面に表された声で、アイメリクは謝った。暗い気持ちに染まった空気が彼らを包む。互いに黙ったままの二人を見守っていたオルシュファンは、意を決して口を開いた。
「アイメリク殿はそれで良いのですか?」
「……どういうことだい?」
旧知の仲である彼から放たれた言葉に、アイメリクは眉を顰める。触れてほしくない何かに触れられてしまったかのような表情だった。
「あなたもヒナナも、戦いの場に生きる者です。今の情勢を優先し、もし伝えたいことが伝えられなかったら、アイメリク殿は受け入れられるのですか?」
相手の表情に構わずオルシュファンは意見する。彼の言葉にアイメリクはムッとして、首を横に振った。
「素直に受け入れられるわけない。だが、苦しんでいる民がいるの中で私だけ幸せになるというのは納得出来ないのだ」
「それはつまり、戦争状態ではなければヒナナの気持ちを受け取るおつもりであるくらい、彼女に対してそういう思いがある、ということですね?」
「えっ……?」
オルシュファンの指摘に、ヒナナはハッとする。神殿騎士団総長という立場を重んじて断った彼も、本当は自分に対して好意がある……それを知って、心に小さな光が宿った。当のアイメリクは複雑そうな顔をして頷く。真意を知れただけでも嬉しいと、ヒナナは思った。
「ならば、彼女の思いを受け入れ、あなたの言葉を伝えるべきです。伝えたいことがある時は、それが出来る時に伝えた方がいい。もしかしたらその機会は、今しかないものかもしれないのだから」
「……そうかもしれない。けれども私は……」
アイメリクは悔しそうに言葉を詰まらせる。それを見たヒナナは、少し申し訳なくなった。自分のせいで好きな人を苦しめてる。オルシュファンの言う事も正しいが、今じゃなくても良いのではないか……悩み始めた彼女の気も知らず、あと一押しだと感じたオルシュファンは、ヒナナを後ろから抱き締めた。
「へっ……!?」
「あなたが躊躇うなら、私がヒナナを貰い受けますよ」
「なっ……!」
「オルシュファンさん!?」
アイメリクもヒナナも、彼の予想外の行動に戸惑う。オルシュファンは不敵に微笑み、アイメリクを挑発するかのように見つめた。
「私だけじゃない。エスティニアンだってヒナナを狙っているかもしれない。あなたが彼女を好いているのなら、奪われる前に自分のものだと示すべきです。後悔しないように」
その言葉はアイメリクの悩める心に突き刺さった。その痛みは行動の原動力となり、彼はかつかつとヒナナの傍に歩み寄る。
「オルシュファン……彼女から離れてくれないか? きちんと話がしたい」
アイメリクはオルシュファンに小さな敵意を示す。向けられた刃の切っ先に、作戦が成功したと察したオルシュファンは、ヒナナを解放した。
自由になった彼女を真っ直ぐに見つめ、アイメリクはヒナナの肩に触れる。凛々しい瞳にヒナナは捕らわれ、胸の高鳴りを強く意識した。先程の悩みなど、吹き飛んで忘れてしまうくらいに。
「ヒナナ……」
「はい……」
「私も……君のことが好きだ。一人の女性として、愛している」
ストレートな愛の言葉がアイメリクから紡がれる。それはヒナナの心に充足感と刺激を与え、彼女は頬を真っ赤にした。
「アイメリクさん……」
「君は今日から、アイメリク・ド・ボーレルの恋人だ。ここに、永遠の愛を誓おう」
そう言って彼はヒナナを抱き締め、そっと唇を重ねる。突然の口付けにヒナナは耳まで朱に染めて戸惑い、オルシュファンは二人の急接近に拍手した。
「あ、あ、アイメリクさん…!?」
「オルシュファンが本気で君を奪いに来ないように、虫除けだよ」
「ははっ、アイメリク殿は独占欲が強いですな」
「そうかもね……大切なものは、絶対に奪わせない。例え相手が、仲間だろうと腐れ縁の親友だろうとね」
アイメリクは穏やかな笑みを浮かべてそう語る。彼の仄暗い部分にときめきとは違う緊張感を覚えながらも、想いを繋げてくれたオルシュファンにヒナナは感謝した。彼がいなければ、断られた時に諦めていただろう。少し強引なやり方だったが、こうして恋人になれて良かったと思う。
「オルシュファンさん、背中を押してくれてありがとう」
「いや、お前が悲しまずに済んで良かった。アイメリク殿を試すようなことをしてしまって、申し訳なかったが……」
「君がああしなければ、きっと私はヒナナの想いを拒否したままだったろう。あれは正しい行動だと思うよ」
「そうですか、二人を幸せに出来て私も嬉しいです」
満足そうにオルシュファンは笑う。優しい仲間を持ったなとヒナナは思い、彼と同じように微笑んだ。